聴かせて、天辺の青

夢を追いかけて上京したけれど失敗して、逃げてきた場所がここだった。



故郷に帰ることもできず行く当てもなく電車に乗って、たまたま降りた場所。電車を降りた理由は、彼の故郷の景色に似ていたからという理由。



彼にとって、ここは田舎の代わりでしかない。



故郷に似た海を観ながら一度は死を意識した彼が、ここを発つことは簡単だろう。再び電車に乗って気の向くままに、どこかへ行ってしまうことだって。



ここには彼の夢もないし、彼の故郷でもない。彼が未練を感じるものなど何もない。



東京を離れた時のように別れを告げることもなく、こっそりと姿を消してしまうことだってできるはず。



だけど私はまだ、花見の夜のことが忘れられない。



『もう少しだけ、ここに居させて』と言った彼の声が、未だに耳に残って離れない。酔った勢いだったのかもしれないけど、だからこそ。あれは本心だったんだと思う。



そうでなければ、あんな声を震わせたりしない。私を強く抱き締めたままま涙を流した彼の言葉は間違いなく本心だと、私は信じたい。


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