星月の君
ああもう!「こんなとき、衣も長い髪も邪魔なのよね」と私は愚痴る。あの男はおそらく女房の誰かをその色で陥落させたのだろうから、兄はまだ気づいていない。
「小雪、お願いがあるの」
「な、なんですか」
廊下で私は重い衣を一部脱ぎ、小雪に渡す。
「しばらく隠れてた後、他の女房たちに静のことを伝えて」
「あの、ひめさまは?」
「私は平気。心配しないで」
強く頷いた小雪に背を向けて、廊下を歩く。
――――怖い。
いつだったか、襲われそうになったことを思い出す。怖い。怖い。
私は廊下から外れて、邸を囲む築地塀を登った。きっと混乱していたのだろう。恐怖と、不安から前もって考えていたことを私はすっぱり抜け落としていた。
築地塀を登るのは邸をこっそり抜け出していたこともあってか、慣れている。
そうして上手く築地塀の向こうに着地したときのことだ。
運悪く、すぐ近くには――――車。
「な、何者か!?」
地面に手をついたまま、私は車に付き従う従者らしき者を見つめた。
説明しようか、そのまま逃げるか迷ったころ「どうした」という声がした。