星月の君







「女が急に……」

「女?」

「あ、おい女?!」







 腕を掴まれて「色好み男から逃げなくてはならないのです!」といって振り払おうとした。

 車から顔を出したのは、男。
 また男か!と思ったが――――その声に何処か聞き覚えがあった。はっとして顔をあげると、目があう。

 何があった、というまえに男が従者に「よい。車に乗せてやれ」という。従者はやや驚いたようだが、それに従う。
 どうすれば。
 迷う私に、男の手が伸びる。







「顕季殿の邸の者だろう――――来なさい」







 私は迷った末、男の手を取った。

 そうして男の車に乗せてもらった私は、煩い心臓を落ち着かせようとした。服装もおざなりで、ああなんという格好をさらしているのだろう、と思う。こんな格好をしているのは私のせいなのだが。
 男は私が落ち着いたのを見計らって、「何があった」と聞いてきた。







「――――男が忍んできて、逃げてきたのです」

「君はまさか―――若葉の君か」

「っ!」







 薄暗い中でそう言われてまさか、と思った。
 聞いたことがある声は「藤原行成だ」と言われて納得した。ああ、行成様だったのか。一気に力がぬける。大丈夫か?という声にぼんやりと頷く。

 まだ、指先が震えていた。

 考えてみれば、車の主が行成様だったから良かったが、他の人だったらどうだったか。
 静はどうしただろう。無事だろうか。小雪は……。

 薄着であるため、少し寒い。
 ふっと温もりが生まれて視線をずらせば、衣。行成様が私にかけてくれたようで、断ろうとしたが「着ていなさい」といわれる。
 そしてその表情が和らいだ。






「もう大丈夫だ―――」






 その言葉に、私はひどく泣きそうになった。




  * * *






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