星月の君
「星姫、と呼んでいるのです。星や月が出ている夜、美しい音色があの付近で奏でられるのを聞いた者たちがそう、名をつけて噂をしていたのですよ」
「……ええ、兄から聞きました」
「顕季殿もまた心配している様子でした。私も、貴方が心配だったのです――――あの場所を通ったのはまた、貴方の奏でる音色がか聞けるかと、少し期待していたのです」
行成様も噂を知っていたのか。
ああ、なんて似合わない名前。
姫、という響きは私には似合いません、と返す。逃れるためとはいえ、塀を越えるなど……。本当の"姫"であったなら、ありえないだろう。
迷惑を、かけて。
「ご迷惑をかけて、申し訳ありません」
兄も今ごろ怒っているだろう。
それに、行成様にも呆れられただろう。
私はうつむいていた。指先のふるえは止まっているものの、あの時の恐怖はなかなか消えない。
そうしていると、ふっと几帳から扇が差し出される。どうぞ、といわれたので、私は受け取って、広げる。それは絵巻の一部をそのみ写した扇だった。
絵は見たことがある。
確か、月に住む姫の絵巻ではなかったか―――――。
扇に私が目を落としていると「若葉の君」と柔らかい声がかかる。
「迷惑などとは思っていませんよ。どうか気にしないでください」
「しかし……」
「貴方が無事で、本当によかったと思っていますから」
そう言われて私は思わず、涙を落とした。
ぎゅっと、行成様から受け取った扇を握りしめて。
* * *