製菓男子。
ふっと視線を外した塩谷さんは、わたしにタオルを差し出した。
菓子パンの甘い香りが鼻腔をくすぐる、そんなタオルだった。
思わず脳裏に宮崎さんの顔が浮かぶ。
パンは宮崎さんの香り。
その香りがそっと背中を押してくれているようで―――


(ちゃんと、聞かなきゃ)


涙をタオルで拭った。


「その同じ病院に自分の姉が入院していることも、俺はわかっていて、そのショックよりも、彼女との関係の曖昧さのほうがショックが大きくて。そんな俺が、最低だなって思ってる、今も」


塩谷さんは溜め息をコーヒーの中に落とし、それを啜って一息ついた。


「だから俺、気持ちの整理がつかなくて、グレちゃったんだよ。学校は平気でサボるし、煙草も吸うし、髪も染めちゃうしでさ。お金には困ってなかったから、カツアゲとかはしなかったけど、よくパシリには使ってたな、シンジを」
「荒川さんを、ですか?」
「今じゃチャラい感じだけど、昔は絵に描いたみたいなガリ勉くんだったからね、アイツ。その頃、俺によく構ってくれてたのがエイタ。俺を更正させようと躍起になってたみたいよ? そのエイタが、エイタの妹がその事故のことを事前に予見していたと知ったのは、翌年の夏頃。事故の整理もまだ俺にはついていなかったし、エイタも煩わしくて日頃の鬱憤も堪っていたし。だから、エイタが部活に行っている間に、なんの罪もないチヅルちゃんに会いに行ったんだよ」


わたしはその頃のことをほとんど覚えていない。
いやなことだけはすぐに、思い出すのだけれど。


「小学四年のきみに、俺は理不尽な言葉ばかりを投げていたんだと思う。近所の目をはばからず、玄関で。その頃のきみは、守ってくれる人なんていなかったことを、俺は知っていたのに」
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