製菓男子。
大惨事があった翌年、母が家を出て行った。
父は家に寄りつかない人だったから、兄が家に帰ってくるまで、わたしは母の行動をなぞるようにすごしていたように思う。
洗濯物を畳んで、おやつを作って、夕飯の支度をして、テレビを見て待っている。


「あの頃のきみは、今よりも言葉数が少なかったよね。のちに知り合うゼン以上だと思うから、よっぽどだったと思うよ。そんなチヅルちゃんの中に、俺は、彼女の面影を見てしまった。嘘がつけるほど器用じゃなくて、素直に傷ついてしまうから脆くて、儚いように白くて。彼女の死に顔ときみの顔が、重なって見えた。きみのほうが断然若いのに、不思議な話だけど。だから、堪らなくて、いやがるきみの制止を聞かずに、その手に触れてしまったんだ。

家に帰ると、無理やりきみに聞きだした未来と同じことが待っていた。父も俺の素行に我慢の限界にきていて、「塩谷家の恥だ」とか「姉さんががんばっているときに」とか、そういって殴られたんだよ。俺の家ってさ、ちょっと資産家だから、世間体もあったんだと思うけど―――その頃の俺は怒りの矛先をどこにぶつけていいかわからなくて、それがチヅルちゃんに向かっていった。八つ当たりなんだと思う。

そして文句を言いにもう一度チヅルちゃんの家に行ったんだ。そしたらね、チヅルちゃんは、俺のことを待っていた。きみの中に怯えが見えたけど、ビスケットを焼いて待っていてくれた」


塩谷さんはポルポロンに手を伸ばした。
それを一口食べて、「バターのお菓子ってたまに強烈に食べたくなるよな」と自分がまるで溶けたバターになったみたいに塩谷さんはやわらかく笑った。
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