【電子書籍化】あの猫を幸せに出来る人になりたい
夏休みも終わりに近づいた頃。
倉内の従妹、エリーズの送別会に参加することが決まった花は──悩んでいた。
せっかくなのでカナダに帰る彼女に、何かプレゼントしようと思ったのだ。和風なものとか可愛いものとか一生懸命考えたが、花はさっぱりいい案にたどり着くことができず、ついに倉内にメッセージで『エリーズの好きなものって何ですか?』と助けを求めた。
好きなものという、漠然とした聞き方が悪かったのだろう。倉内から詳細を希望するメッセージが来たので、彼女は正直にお別れに何か贈ろうと思っていることを告げる。
しばしの時間の後。
『僕も何か贈ろうと思っていたから、一緒に買いに行く?』という返事をいただく。花はメッセージを見て心強い気持ちになった。倉内と花の間に、ひっそりと互助関係が築けている気がしたのだ。
手を貸したり貸されたり、学生らしいそんなささやかな関係は、花にとって心地のいいものだった。
よろしくお願いしますと返信を送り、彼と行き先や日程を調整する。送別会の二日前に、電車で六駅ほど先にある繁華街に買い物に行くことが決まった。
待ち合わせは、相変わらずの花の家。ちゃんと家まで迎えに来てくれるという、高校生男子にしては出来過ぎた紳士っぷりである。花の母とも、毎回顔を合わせて挨拶をしていく。これは母が必ず顔を出すせいだ。
「え、そんな格好でいくの?」
倉内と出かける日の朝九時四十五分。支度を済ませた花が、二階から降りてくると、母がうーんとひとつ唸った。
「何かおかしい?」
Tシャツにジーンズとキャップ。色こそ違え、花の毎日の服装は大体こんなカンジだ。ただし、外に行く時のTシャツは、ちゃんとよれていないものを選んでいる。
「おかしくはないけど……お出かけなんだから、たまにはスカートにしたら? 今日は、家に行くわけじゃないんだから、スカートでもよくない?」
微妙な顔で娘を見ながら、母がどうでもいいアドバイスをしてくる。家に行かなければスカートでいいということは、家に行く時はズボンの方がいいというのか。花には、母の理論はよく分からなかった。
「足出せるのって若い内だけなんだから、スカートが腐る前にははきなさいよ」
お母さん、スカートは腐りません──そんな可愛げのないツッコミを、心の中だけで済ませた後、花は居間の時計を見た。
約束の十時まで、まだ少し余裕はある。
花は、ふむと自分の青い両脚を見下ろした後、一度部屋に戻ったのだった。
「おは……」
迎えが来たので花が玄関を開けると、いつもの倉内の朝の挨拶が、途中で止まった。一度視線が下に下りて、それから上がって来たのだ。
「……よう」
そして、挨拶の続きが出てくる。
「おはようございます、楓先輩。ちょっと靴履くから待ってくださいね」
さっき靴箱から出しておいたサンダルを履くために、花は一度玄関に腰掛けた。サンダルはホックを留めなければならず、立ってやるとよろける可能性があった。
せっかく久しぶりにスカートを履いたというのに、そんな無様な姿をさらすわけにはいかない。
スカートと言っても、インド綿の軽いアジアン風で、丈は膝下。学校の制服より長いくらいだ。
それに合わせるためにサンダルを出し、キャップは合わなかったのでストローハットにした。スカートひとつで、小物ががらりと変わってしまうので面倒だなと、この時の花は思っていた。
「花さん……」
パチンと、右側のサンダルのアンクルストラップを留めた時、上から呼びかけられる。何ごとかと視線を上げると。
「あ、その……す、すごく、そう、花さんその服、す、す、すごく似合ってるよ」
少し顔を赤らめた倉内に、いつも以上にどもりながらも一生懸命そう伝えられ、一瞬花は固まった。
ほんの小さじ一杯分くらいのおしゃれをした花を、褒めなければならないという使命感でもあるのだろうか──固まりから戻ってきた花が、最初に考えたのはそれ。
しかし、前回の浴衣の時には言われなかったことを考えると、倉内の好みは、和服よりこういうスカートなのか。安上がりでいいなとか、余計なことも考えてしまった。
結局。
「ありがとう、ございます」
褒められたのは間違いないのだろうから、素直にお礼を言っておくことにした。
何だか彼をちゃんと見られなくなって、花は視線を落とすと、左足のホックをできるだけゆっくりと留めた。
よし、と準備完了の自分を確認して、花が立ち上がろうとしたら、目の前にすっと手が差し出される。倉内の、花の手よりも一回り大きい手だった。
あー、うん、さすがだよね──花は、何とも言えない気持ちを、一度だけ胸の内でぐるりとかき混ぜた後、その手に自分の手をかけ、立ち上がらせてもらう。
倉内と一緒にいると、異性との些細なスキンシップが、ごくごく当たり前のように思えてくるから不思議だ。ただの日常のヒトコマに見える。
そうして、花が立ち上がって、いざ出かけようとした時。
「あ、おはようございます」
花の目の前に立つ倉内が、彼女の肩越しに挨拶を投げたのだ。振り返ると、母が台所から顔を出して手を振っている。
倉内が来たというのに、母が出てこないはずがないと、花は苦笑いを浮かべてしまった。
「暑いから気をつけて。水分補給も忘れずにね」
「は、はい、気をつけます。無事、花さんは、お、お返ししますので」
真面目な顔で、倉内が母に頷きを返す。
「いやねえ、倉内くんの方を心配してるのよ。花はマイペースだから心配してないわ」
「おかーさん」
ジョークなのか本気なのか、くだらないことを言い出す母を花が牽制すると、「いってらっしゃい」と言葉を残して、にまにまと台所へ引っ込んで行くのだった。
まったくもう、と母を追い払うことに成功した花が、前に向き直る。
「行こうか」と、倉内の手が、そっと彼女の背に回って軽く押し出すような動きをした。
本当に、スキンシップ慣れしていることを実感する。この人が完全に対人恐怖症を克服したら、学校中の女を陥落させることも可能かもしれないと、花はほんの少しだけ恐れを覚えた。しかし女性陣の猛アタックに、倉内の神経がもたないだろうとも思った。
家を出ると、当然のように車道側を歩く倉内に、些細なこととは言え守られていることに気づく。花は自分が女なんだなあと、ぼんやりと思った。
女性が一人で歩き回っても危険なことが少ない日本だけに、明るい時に迎えに来てもらったり送ってもらったりすることが当然という風潮はない。男性が女性のために尽くすのが当たり前、という風潮もない。
だからと言って、倉内にそれをやめろというのは酷い話である。何が「普通」であるかというのは、本人の基準でしかないのだから。
問題は、彼の「普通」と日本社会の間には乖離があり、結局それが倉内自身に跳ね返って対人恐怖症になっているのは、皮肉なことだった。
バランスの難しい話に、花がうーんと唸りかけた時。
「どうしたの……花さん?」
隣に倉内がいたのを思い出した。本人を目の前に悩むという、馬鹿なことをしていたことに気がついて、「なんでもないです。大丈夫」と手を振った。
そんな彼女に一度首を傾げた後、倉内が「そういえば、花さんと出かけると、聞いて……エリーズが、一緒に来たがって、困った」と話を振ってきたので、花はそれにぷっと笑ってしまった。話が切り替わってほっとしたのもあるが、純粋にエリーズのモーレツなアタックと、倉内が本当に困っていただろう姿が、容易に想像できておかしかったのである。
「確かに、一緒に行くわけにはいきませんね」
彼女への贈り物なのだから、本人に来てもらってほしいものを選んでもらうという手もあるが、こっそりああでもないこうでもないと悩んで、当日に驚いてもらう方が花の好みだった。
「そういえば子供の頃、お父さんが私の誕生日プレゼントに悩んで、私に相談してきた時、『誕生日をもう一日後にして』って言って困らせたことがありました」
贈り物つながりで思い出した話は、笑ったついでに自然に花の口から零れ落ちていた。
「誕生日……ど、どうかしたの?」
「子供の頃は、自分の誕生日がひやかされるから嫌いだったんです。いまはもう平気ですけどね」
にまっと笑って、花はその時の自分を笑い飛ばした。くだらないことにこだわっていた、小さな自分を、だ。
それで話は終わりかと思っていたら、「いつ?」と倉内に食いつかれた。まあ、ここまで話したら気になるのが当然だろう。
「四月一日ですよ。四月馬鹿の日。学年で一番年下で、誕生日の話になるといつもからかわれてました。でも、実際は春休みの真っ最中なので、当日にバカにされることはなかったです」
春休みということは同時に、学校の友人から誕生日プレゼントを、ほとんどもらえないということでもある。当時は、夏・冬休み生まれの子とかと慰めあったりもしたが、一番不幸なクリスマス生まれの子だけは、上手に花も慰めることができなかった。冬休みな上に、親に誕生日とクリスマスのプレゼントをまとめられてしまっていたのだから。
「そっか……多分、は、春生まれだろうって思ってたけど、そっか、四月一日か……まだまだ遠いね」
多分春生まれというのには、花も納得する。植物の花は、冬以外には大抵咲くが、日本人のイメージとして最初に浮かぶのが春だから。
あ、ということだ。
「楓先輩は、秋ですか?」
思わず、花も誕生日論争に食いついた。カナダ出身の父がいるから楓だと思っていたが、もしかしたらそれに季節もセットなのかもしれないと、思わず隣の彼を見上げる。
「あ、うん。十一月五日。立冬の直前で……秋の、一番最後」
それは自分の名前の由来を、親に聞いたことがあるのだろうと想像させる返答だった。自分の誕生日に、特別な名前がついていない場合、些細なことでもいいから意味づけをして一緒にしまっておくものである。
彼の場合は暦上、立冬の直前の日としてしまいこまれていたようだ。
「へぇぇ」と。普段は意識しない立冬という季節の節目が、こうして花の頭に焼きついたのだった。
それから、しばらく立冬について倉内の説明を聞きながら歩くことになる。
大抵は十一月七日が立冬になるが、場合によっては八日。日本の古い暦だと、十一月六日となるそうで、十一月五日は、いまの人が見ても昔の人が見ても「秋」として認められると、珍しく熱弁が振るわれたため、ちょっとだけおかしくなった。
話の内容がというより、倉内の「秋」に対するこだわりが面白かった。昔の人が見る心配までしているところは、彼流のバースデージョークなのかもしれない。本当に、こういうことは話をしてみないと分からない。
しゃべるのが苦手な人は、何も考えていないわけではない。たくさんのことを考えてはいるけれども、それを表に出すのが苦手なだけなのだ。
こうして倉内の口から新しい話が出てくる度に、花の中の倉内楓という人間が最新版に更新されていく。
そんな最新版倉内と話しているうちに、あっという間に駅へとついてしまった。
楽しい時間というのは過ぎるのが早いと、アインシュタインという偉い人も言っていた。それはまさしく真理で、花は少し名残惜しく思ったのだった。
倉内の従妹、エリーズの送別会に参加することが決まった花は──悩んでいた。
せっかくなのでカナダに帰る彼女に、何かプレゼントしようと思ったのだ。和風なものとか可愛いものとか一生懸命考えたが、花はさっぱりいい案にたどり着くことができず、ついに倉内にメッセージで『エリーズの好きなものって何ですか?』と助けを求めた。
好きなものという、漠然とした聞き方が悪かったのだろう。倉内から詳細を希望するメッセージが来たので、彼女は正直にお別れに何か贈ろうと思っていることを告げる。
しばしの時間の後。
『僕も何か贈ろうと思っていたから、一緒に買いに行く?』という返事をいただく。花はメッセージを見て心強い気持ちになった。倉内と花の間に、ひっそりと互助関係が築けている気がしたのだ。
手を貸したり貸されたり、学生らしいそんなささやかな関係は、花にとって心地のいいものだった。
よろしくお願いしますと返信を送り、彼と行き先や日程を調整する。送別会の二日前に、電車で六駅ほど先にある繁華街に買い物に行くことが決まった。
待ち合わせは、相変わらずの花の家。ちゃんと家まで迎えに来てくれるという、高校生男子にしては出来過ぎた紳士っぷりである。花の母とも、毎回顔を合わせて挨拶をしていく。これは母が必ず顔を出すせいだ。
「え、そんな格好でいくの?」
倉内と出かける日の朝九時四十五分。支度を済ませた花が、二階から降りてくると、母がうーんとひとつ唸った。
「何かおかしい?」
Tシャツにジーンズとキャップ。色こそ違え、花の毎日の服装は大体こんなカンジだ。ただし、外に行く時のTシャツは、ちゃんとよれていないものを選んでいる。
「おかしくはないけど……お出かけなんだから、たまにはスカートにしたら? 今日は、家に行くわけじゃないんだから、スカートでもよくない?」
微妙な顔で娘を見ながら、母がどうでもいいアドバイスをしてくる。家に行かなければスカートでいいということは、家に行く時はズボンの方がいいというのか。花には、母の理論はよく分からなかった。
「足出せるのって若い内だけなんだから、スカートが腐る前にははきなさいよ」
お母さん、スカートは腐りません──そんな可愛げのないツッコミを、心の中だけで済ませた後、花は居間の時計を見た。
約束の十時まで、まだ少し余裕はある。
花は、ふむと自分の青い両脚を見下ろした後、一度部屋に戻ったのだった。
「おは……」
迎えが来たので花が玄関を開けると、いつもの倉内の朝の挨拶が、途中で止まった。一度視線が下に下りて、それから上がって来たのだ。
「……よう」
そして、挨拶の続きが出てくる。
「おはようございます、楓先輩。ちょっと靴履くから待ってくださいね」
さっき靴箱から出しておいたサンダルを履くために、花は一度玄関に腰掛けた。サンダルはホックを留めなければならず、立ってやるとよろける可能性があった。
せっかく久しぶりにスカートを履いたというのに、そんな無様な姿をさらすわけにはいかない。
スカートと言っても、インド綿の軽いアジアン風で、丈は膝下。学校の制服より長いくらいだ。
それに合わせるためにサンダルを出し、キャップは合わなかったのでストローハットにした。スカートひとつで、小物ががらりと変わってしまうので面倒だなと、この時の花は思っていた。
「花さん……」
パチンと、右側のサンダルのアンクルストラップを留めた時、上から呼びかけられる。何ごとかと視線を上げると。
「あ、その……す、すごく、そう、花さんその服、す、す、すごく似合ってるよ」
少し顔を赤らめた倉内に、いつも以上にどもりながらも一生懸命そう伝えられ、一瞬花は固まった。
ほんの小さじ一杯分くらいのおしゃれをした花を、褒めなければならないという使命感でもあるのだろうか──固まりから戻ってきた花が、最初に考えたのはそれ。
しかし、前回の浴衣の時には言われなかったことを考えると、倉内の好みは、和服よりこういうスカートなのか。安上がりでいいなとか、余計なことも考えてしまった。
結局。
「ありがとう、ございます」
褒められたのは間違いないのだろうから、素直にお礼を言っておくことにした。
何だか彼をちゃんと見られなくなって、花は視線を落とすと、左足のホックをできるだけゆっくりと留めた。
よし、と準備完了の自分を確認して、花が立ち上がろうとしたら、目の前にすっと手が差し出される。倉内の、花の手よりも一回り大きい手だった。
あー、うん、さすがだよね──花は、何とも言えない気持ちを、一度だけ胸の内でぐるりとかき混ぜた後、その手に自分の手をかけ、立ち上がらせてもらう。
倉内と一緒にいると、異性との些細なスキンシップが、ごくごく当たり前のように思えてくるから不思議だ。ただの日常のヒトコマに見える。
そうして、花が立ち上がって、いざ出かけようとした時。
「あ、おはようございます」
花の目の前に立つ倉内が、彼女の肩越しに挨拶を投げたのだ。振り返ると、母が台所から顔を出して手を振っている。
倉内が来たというのに、母が出てこないはずがないと、花は苦笑いを浮かべてしまった。
「暑いから気をつけて。水分補給も忘れずにね」
「は、はい、気をつけます。無事、花さんは、お、お返ししますので」
真面目な顔で、倉内が母に頷きを返す。
「いやねえ、倉内くんの方を心配してるのよ。花はマイペースだから心配してないわ」
「おかーさん」
ジョークなのか本気なのか、くだらないことを言い出す母を花が牽制すると、「いってらっしゃい」と言葉を残して、にまにまと台所へ引っ込んで行くのだった。
まったくもう、と母を追い払うことに成功した花が、前に向き直る。
「行こうか」と、倉内の手が、そっと彼女の背に回って軽く押し出すような動きをした。
本当に、スキンシップ慣れしていることを実感する。この人が完全に対人恐怖症を克服したら、学校中の女を陥落させることも可能かもしれないと、花はほんの少しだけ恐れを覚えた。しかし女性陣の猛アタックに、倉内の神経がもたないだろうとも思った。
家を出ると、当然のように車道側を歩く倉内に、些細なこととは言え守られていることに気づく。花は自分が女なんだなあと、ぼんやりと思った。
女性が一人で歩き回っても危険なことが少ない日本だけに、明るい時に迎えに来てもらったり送ってもらったりすることが当然という風潮はない。男性が女性のために尽くすのが当たり前、という風潮もない。
だからと言って、倉内にそれをやめろというのは酷い話である。何が「普通」であるかというのは、本人の基準でしかないのだから。
問題は、彼の「普通」と日本社会の間には乖離があり、結局それが倉内自身に跳ね返って対人恐怖症になっているのは、皮肉なことだった。
バランスの難しい話に、花がうーんと唸りかけた時。
「どうしたの……花さん?」
隣に倉内がいたのを思い出した。本人を目の前に悩むという、馬鹿なことをしていたことに気がついて、「なんでもないです。大丈夫」と手を振った。
そんな彼女に一度首を傾げた後、倉内が「そういえば、花さんと出かけると、聞いて……エリーズが、一緒に来たがって、困った」と話を振ってきたので、花はそれにぷっと笑ってしまった。話が切り替わってほっとしたのもあるが、純粋にエリーズのモーレツなアタックと、倉内が本当に困っていただろう姿が、容易に想像できておかしかったのである。
「確かに、一緒に行くわけにはいきませんね」
彼女への贈り物なのだから、本人に来てもらってほしいものを選んでもらうという手もあるが、こっそりああでもないこうでもないと悩んで、当日に驚いてもらう方が花の好みだった。
「そういえば子供の頃、お父さんが私の誕生日プレゼントに悩んで、私に相談してきた時、『誕生日をもう一日後にして』って言って困らせたことがありました」
贈り物つながりで思い出した話は、笑ったついでに自然に花の口から零れ落ちていた。
「誕生日……ど、どうかしたの?」
「子供の頃は、自分の誕生日がひやかされるから嫌いだったんです。いまはもう平気ですけどね」
にまっと笑って、花はその時の自分を笑い飛ばした。くだらないことにこだわっていた、小さな自分を、だ。
それで話は終わりかと思っていたら、「いつ?」と倉内に食いつかれた。まあ、ここまで話したら気になるのが当然だろう。
「四月一日ですよ。四月馬鹿の日。学年で一番年下で、誕生日の話になるといつもからかわれてました。でも、実際は春休みの真っ最中なので、当日にバカにされることはなかったです」
春休みということは同時に、学校の友人から誕生日プレゼントを、ほとんどもらえないということでもある。当時は、夏・冬休み生まれの子とかと慰めあったりもしたが、一番不幸なクリスマス生まれの子だけは、上手に花も慰めることができなかった。冬休みな上に、親に誕生日とクリスマスのプレゼントをまとめられてしまっていたのだから。
「そっか……多分、は、春生まれだろうって思ってたけど、そっか、四月一日か……まだまだ遠いね」
多分春生まれというのには、花も納得する。植物の花は、冬以外には大抵咲くが、日本人のイメージとして最初に浮かぶのが春だから。
あ、ということだ。
「楓先輩は、秋ですか?」
思わず、花も誕生日論争に食いついた。カナダ出身の父がいるから楓だと思っていたが、もしかしたらそれに季節もセットなのかもしれないと、思わず隣の彼を見上げる。
「あ、うん。十一月五日。立冬の直前で……秋の、一番最後」
それは自分の名前の由来を、親に聞いたことがあるのだろうと想像させる返答だった。自分の誕生日に、特別な名前がついていない場合、些細なことでもいいから意味づけをして一緒にしまっておくものである。
彼の場合は暦上、立冬の直前の日としてしまいこまれていたようだ。
「へぇぇ」と。普段は意識しない立冬という季節の節目が、こうして花の頭に焼きついたのだった。
それから、しばらく立冬について倉内の説明を聞きながら歩くことになる。
大抵は十一月七日が立冬になるが、場合によっては八日。日本の古い暦だと、十一月六日となるそうで、十一月五日は、いまの人が見ても昔の人が見ても「秋」として認められると、珍しく熱弁が振るわれたため、ちょっとだけおかしくなった。
話の内容がというより、倉内の「秋」に対するこだわりが面白かった。昔の人が見る心配までしているところは、彼流のバースデージョークなのかもしれない。本当に、こういうことは話をしてみないと分からない。
しゃべるのが苦手な人は、何も考えていないわけではない。たくさんのことを考えてはいるけれども、それを表に出すのが苦手なだけなのだ。
こうして倉内の口から新しい話が出てくる度に、花の中の倉内楓という人間が最新版に更新されていく。
そんな最新版倉内と話しているうちに、あっという間に駅へとついてしまった。
楽しい時間というのは過ぎるのが早いと、アインシュタインという偉い人も言っていた。それはまさしく真理で、花は少し名残惜しく思ったのだった。