【電子書籍化】あの猫を幸せに出来る人になりたい
 花は、電車があまり得意ではない。
 目的地に着くまで、電車に自分を合わせなければならないからだ。何分に乗って、何駅で降りて。そんなことを、常に頭のどこかに置いていないと、失敗しそうな気がして落ち着かない。
 徒歩で通える高校を選んだのも、結局のところ電車通学は「面倒」ということが大きかった。家と学校を往復し、たまに近所のスーパーへ行き、親の買い出しにくっついて車でスーパーに毛の生えた程度のショッピングセンターに出かけるくらい、という彼女のこれまでの外出履歴は、女子高生にしてはあまり花のないものだった。名前負けもいいところだ。
 前に、倉内に猫の映画に誘われた時は、日曜日だったこともあって、倉内父が送ってくれたので、苦労することはなかったのだが。
 そんな彼女でも、自分のためではなく人の贈り物を選ぶという理由であれば、苦手な電車にも乗る。ただし一人でだったら、絶対行こうとは考えなかっただろう。
 母が花をマイペースと言ったのは、ある意味当たっているかもしれないと、電車を前にしながら彼女は思っていた。
 動物に合わせるのは得意でも、機械に合わせるのは億劫。もし電車に尻尾がついていて、花の方をつぶらな瞳で見つめてきたら、その考えを改めないでもなかったが。
 改札に入りかけた時、「もう来るね」と、倉内に言われて慌てて花は早足になった。ああ、やっぱりスニーカーにしておけばよかったと、早速サンダルを後悔しかけた時。
 すっと、倉内の手が伸ばされ、足元のおぼつかない彼女の手を取り、支えてくれる。
 何と自然な助けだろうと、花は感心するより他にない。こうした態度に不慣れな日本の女子高生代表としては、これを断るのはただの自意識過剰に思えた。
 倉内にとっては、それが当たり前。花としては、助けになることは間違いないので、素直に受け取っておくことにする。倉内も助けたいと考え、花も助かる──これで断る方がおかしいのだから。
 無事電車に乗って花が一呼吸つくより前に、電車がすぐに扉を閉めて動き出した。彼女は、自分の背中に倉内の手が当てられたのが分かった。
 いや逆だ。慣性の法則で、花はほんの少しだけ背中の方に身体が傾いだのである。触れない程度に手を出していた倉内に、その背が勝手に当たっただけだ。
 恐るべし、倉内楓。
 花が思わずそんな目で倉内を見てしまった後、慌ててそうじゃないと考えを改め、「ありがとうございます」と言った。
 座席はほどよく埋まっており、二人掛けられる場所はない。それでも倉内は、自然に空いている場所に彼女を座らせ目の前に立つ。
 帽子を取って膝に乗せ、花は座った状態で前に立つ倉内を見上げる。
 こうして見ると、倉内がとても大きく感じた。彼は標準より高い身長は持っているものの、筋肉系ではないというのに。
 それでも花を気遣う紳士的な態度が、彼女の目にフィルターでもかけているのか、前より一回り大きく見える。
 彼女の見上げる視線に気づいたのか、倉内がはにかむように笑いかけて、失敗して、少し恥ずかしそうに横を向く。この辺がまだ、やはり倉内なのだが。
 そして、ようやく花はこの時に気づいた。
 あ、すっごい見られてる──向かいの席の女性が、隣の席の男性が、少し離れて立っている人が。みな、あからさまにガン見はしていないが、ちらちらと断続的に倉内楓に視線を投げ続けるのである。
 黒髪ではなく日本人的な顔立ちではないハーフの彼は、いつもこうして人に見られているのだろう。
 縁日の時は、花も浴衣でエリーズを探し回っていたため、周囲に気を配るほど心に余裕がなかった。しかし、それでも知らない内に誰かに写真を撮られていた。日本にいると、彼はとても目立ってしまう。
 大変だなあ。
 慣れているのか、彼はまったく視線を気にすることなく、花の膝の上の帽子に目を落としている。ストローハットについている、小さな花飾りを見ている気がした。多分、見るものが他にあまりないので、何となく視線を向けているだけだろう。
 そんな電車での移動を乗り越え、無事目的の駅に到着し、倉内の勧めで駅ビルに入っている雑貨中心の店へと入る。一階から五階まで全部雑貨と言っても過言ではないその店に、花は「おお」と驚いた。最近できた店で、地元のテレビではよく取材されていたが、実際来たのは初めてだ。
 まずは一通りざっと見てみようか、と言われ、花はもはやただ頷くしかできなかった。不慣れな環境に陥ると、自分が頼りなく心細い存在だと思い知る。
 そんな花に、次にすることを示してくれる人がいるのは、本当に助かることだった。ただ人間はいつまでも不慣れではない。フロアをひとつずつ上がり、面白い雑貨に埋もれていると、だんだん花の肩の力も抜けてくる。
 自然にエリーズの話も出せるようになり、二人でこれはどうだろう、いやでも、と商品を前に考え込んだり、突拍子もない商品に、これはないと笑ったりする。
 新撰組を含めた日本の幕末の歴史と、オシャレと制服とポップカルチャーが大好きなエリーズ。ここが京都なら、新撰組もどきの法被(はっぴ)でもプレゼントしたのにと言うと、「もう持ってる」と笑われた。
 可愛い雑貨はいろいろあったが、いまひとつインパクトの強いエリーズに負けている気がして、花は納得しきれず、店巡りの二周目に入る。
 そんな彼女の目に、一周目では気づかなかったものがふと入り、通り過ぎかけて足を止め、そして二度見してしまった。
「花さん?」
 怪訝に呼びかけられ、それでもすぐには倉内に反応できないまま、花はそれを見ていた。
 価格を見る。
 千九百八十円。
 花の財布事情からすると、お高い買い物だ。しかし、花はその商品の前から動けなかった。
「な、何? ああ、ああ……うん、これは……エリーズが、すごく喜びそう」
 最初こそ怪訝だったものの、花が目を奪われている商品に、倉内も微妙な笑みを浮かべながら納得している。
 倉内のお墨付きが、尚更花を悩ませた。彼女は、アルバイトをしていない、家族に養われている一人の女子高生に過ぎない。毎月のお小遣いをやりくりしている立場としては、結構厳しい額だ。
 けれど、エリーズとは次にまたいつ会えるか分からない。彼女の喜ぶものを送って、ささやかな日本の思い出にしてほしかった。
「……花さん」
 随分真剣に悩んでいたのだろう。少し遠く聞こえた自分を呼ぶ声に、花ははっと視線を商品から外して彼を見る。
「ええと……これ、ぼ、僕たち二人からの、贈り物ってことに……しない?」
 倉内が、天使に見える瞬間だった。いや、見た目だけなら十分に天使とやらの素質があるのだろうが。
「あ、ありがとうございます……」
 口から出るのは、間抜けなお礼。まずは「はい」か「いいえ」からだろうと、後になって自分に突っ込みを入れたが、いまの花の脳内状況では、これが精一杯だった。
 本当は、嬉しさのあまり彼の両手を握ってブンブン上下に振りたいくらいだったのだが、さすがにそれは花の中の普通には入っていない。
 二人でそれをレジに持って行き、半分ずつ支払う。綺麗にラッピングもしてもらえてほくほくだった。その荷物を倉内が持ってくれたのは、もはや言うまでもない。
「ど、どうする? 他にも何か見る?」
 時計を見ると、もう正午直前だった。反射的に、花は首を横に振っていた。最高の贈り物が選べて満足していたし、正直疲れてもいた。
「じゃあ……ご飯でも食べようか、花さん」
「安い店なら……」
 ご飯と言われ、花は空腹に気づいた。現金な胃袋だ。
「ファストフードでいい?」と言われ、コクコクと頷く。地元にも勿論あるので、気を遣わなくていい分助かると、花は思った。
 混雑し始めた店内で、適当にハンバーガーと飲み物を決めて席に座る。倉内は、それにポテトもつけていた。
 ようやく席に座って、花は安堵の吐息を落とす。
 地元の店の、三倍の客がいるのだ。気楽でいいだろうと思っていたが、そこまでではなかった。
「花さん……疲れた?」
 口には出さなかったその言葉は、倉内に捕まえられてしまう。苦笑いしながら「少し」と答える。
「人混み、苦手?」
「多分そうです……人は好きなんですど」
 人は好きだし、犬も猫も好きだ。けれど、たとえば犬が百匹いる中に放り込まれたら、きっと花は疲れてしまう。人でもやっぱりそうなのだ。
 犬の個、猫の個、人の個が好きな彼女としては、一匹、一人とじっくり向き合える環境の方が落ち着く。
「僕は逆……だったよ」
 コーラのカップを持ったまま、ぽつりと倉内が呟いた。えっと、花は顔を上げた。
「ひ、人混みだと……僕はただ、見られるだけだから。それなら、いい……んだけど、向こうが一人になると、うん、いろいろ言われるし……」
 彼のとつとつとした言葉は、花を納得させた。ああそうか、と。
 電車の中での彼を思い出したのだ。みなチラチラとは見るが、遠巻きだった。そしてもうひとつ思い出したのが、彼との出会いである。体育館裏で、女生徒に言い寄られていただろう場面。前者が人混みで、後者が一人を相手にした時というわけだ。
 そんな彼が、こうして花と一緒に行動するのは、彼女が倉内に突撃していかないからだろう。突撃とは、一部の人が持っている強い感情の表れではないかと、花は考える。可愛い犬や猫を見つけると、突撃したくなる人がいるように。
 花は、突撃するほど好きなものがない。いや、突撃という因子そのものが、彼女の中にないだけなのかもしれないが、どっちにせよ、好きで好きでしょうがないものがない。
 どちらかというとタロの時のように、長い時間をかけて育てたものに、気づかない内に執着している性質なのだろう。だからこそ、タロがもらわれていく時に、嬉しさと寂しさでぐちゃぐちゃになってしまったのだ。
「私も、いろいろ言うかもしれませんよ?」
 ふと、花は思った。彼女がこれまで突撃しなかったことで、倉内が花のことを好ましく思っているというのなら、これからもし突撃するようなことがあったら、彼は離れていくのだろうか、と。
 そうしたら。
 そうしたら、だ。
 倉内が恥ずかしそうに笑って、彼女の目を見つめかけて、でもやっぱりできなくて視線をそらしてこう言ったのだ。
「い、いいよ……花さんなら」
 どこか嬉しそうだ。
 もはや、花程度の突撃なら受け流せると思っているのだろう。
 ちょっと悔しい。
 ストローにオレンジの液体を上らせながら、花は少しばかりやるせない気持ちになった。
 どうやら倉内にも──花の中に突撃因子がないことは、バレているようだった。
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