あなたが教えてくれた世界



──この服を着るのは、私じゃなくてリリ アス・デ・イルシオン……。


二人の侍女が部屋着の釦を一つ一つ外して いく。その様子を鏡越しに見ながら、彼女 は頭の中でただひたすらにその名を反芻する。


『リリアス・デ・イルシオン』とは、イル シオン皇国第二王女の公的な名前だ。


王家の人間は、本名の他に公式の場のため の名前をもっている。例えば、アルディス の母、女王のアイトリスはアムネリスとい う公式名をもっている。


──リリアスは宮廷晩餐会に行く。アルデ ィスは……。


ここで彼女の目に、冷たい光が浮かんだ。


──アルディスなんて、あんなつまらない 子なんて、このままずっとここに閉じ籠っ ていればいい……。


オリビアに運ばれてきた盛装用の空色のド レスが、二人がかりでアルディスに着させ られていく。桜色の髪によく映えていた。


──私はイルシオン皇国第二王女リリアス ・デ・イルシオン。アルディスじゃない。


不思議なことに、着替えの進みと比例する かの如く、彼女の顔に失われていた表情が 現れ始めた。


化粧台の鏡に映った彼女の姿を見た皇国民 はこう言うだろう。『リリアス王女様だ』 と……。


──そこに映っているのは私。アルディス じゃない。


最後にオリビアは、化粧台の中央部に置か れた首飾りを手に取る。


それは、何代も前からイルシオン王家に伝 わる宝石だった。


それが自分の首にかけられるのを見て、彼 女は鏡の中の自分にやわらかく微笑み、呟 く。


「私は、リリアス・デ・イルシオン……」


その呟きは、二人の侍女の耳に届くことな く、消えた。



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