あなたが教えてくれた世界
アルディスがほっとして、小さく息を吐き出した時だった。
「……っ!」
急にイグナスが何かを感じ取ったかのように、扉の方を睨み付けた。
突如として部屋に張りつめた緊迫した雰囲気に、彼女は若干怯みながら不安げにイグナスの背中を見つめた。
(……あ、)
聞こえた。
今の、廊下から響いてきた足音──。
「ちっ」
不意にイグナスが舌打ちをして、思い切りこちらに振り返った。
ああ、これがこの人の臨戦態勢なんだと、どこか冷静にアルディスがそう思った刹那──……。
「……!?」
胃の底が宙ぶらりんになったような浮揚感とともに、視界が勢いよく反転した。
「……え、なに!?」
腹部にあたる硬い感触と、いつもより高い視線の位置、後ろに遠ざかっていく目の前の景色から、一拍遅れて自分の状態を認識したアルディスは、お構いなしにずんずんと歩いているイグナスに声をかけた。
彼女はどうやら、イグナスの左肩にうつ伏せの状態で担がれているらしい。
彼から見て後ろ向きで、彼の左手が、ドレス越しにアルディスの後ろももの部分を無造作に押さえている。
「……黙れ、静かにしろ。向こうに居場所を教えてるようなもんだろ」
全くそんなことを気にしないという風にこちらはこちらで緊迫した声で低く囁かれ、アルディスははっと口を閉ざした。
それでも、何かを言わなければおさまらない心境で、同じように囁くように言い募る。
「……あのでも、この持ち方落ちそうでやだ……」
「文句は聞かない。お前運んだ状態で片手動かせるのはこれくらいしかないだろ。あと落ちたくないなら暴れるんじゃねえ落とすぞ」
落とす、と言われて、アルディスは慌てて動かしていた足を止めて、イグナスの背中の服を握りしめた。
まだ短剣は手の中にあったが、そちらの方の手で掴むと彼の背を刺してしまいそうだったのでやめる。
部屋の扉に辿り着いていたイグナスは、ようやく大人しくアルディスから注意を少し離して、息を潜めながら空いている手で手すりを掴んだ。