あなたが教えてくれた世界
耳を澄ますと、微かに、しかし確かにこちらに向かってくる足音が聞こえる。
どうやらかなり、近い。
(──やられる前に、やる)
イグナスは自分に言い聞かすようにそう思い浮かべると、素早く扉を開き、転がるように廊下へと飛び出した。
瞬間的に体勢を整え、油断なく腰の長剣に手をかけ……たところで。
目の前にいた、驚いた表情でこちらを見ているその人と目が合う。
「……え、」
同時に足音の正体を理解した瞬間、イグナスの口から間抜けな声がもれた。
「……なんだ、驚いた……」
はあ、と息をついて、イグナスは構えを解いた。
一方で、イグナスから急に緊張感や殺気が消えたのはわかるが、後ろ向きに抱えられているせいで相手が見えないアルディスは状況が理解できない。
どうにかして前を見ようともぞもぞしていると、「おいお前動くなって」という無愛想な声がかけられる。
「……どうやら成功したようだね」
そこに、耳に覚えのある穏やかな声が聞こえて、アルディスは動きを止めた。
そこにいたのは、ハリスだった。
どうやら二階の捜索を終え、イグナスと合流するためにここに来たらしい。
イグナスはその言葉に頷いて、アルディスを押さえ直すと足を踏み出しながら言った。
「用も済んだんで、早く帰りましょう。下であいつらもいるだろうし」
「……ああ、そうだね」
ハリスも向きを変え、"帰る"ために今来た道を引き返そうとしたところで、大人しくイグナスに運ばれるアルディスと目があった。
「……お前、アルディス様の運び方……」
物言いたげな視線を寄越しながら、聞く耳をもたなさそうなイグナスを見て、ハリスは呆れたように息をついた。
「……後でオリビアに怒られても知らないぞ……」
小声で漏れたハリスの呟きは、どうやらイグナスには届いていない。
* * *
「おー、やっと来たなイグナス」
一階の廊下に降り立ったところで、ブレンダと共に待ちくたびれていたらしいカルロが声をかけてきた。
「うるせ。お前だって追いつくとか言っといて」
文句を返しつつ、少し足を早めてカルロたちのところへ向かう。
「それはあれだよ。お前の顔をたててやったって言うか?」
「意味わかんねえよ」
ぽんぽんと言葉を交わしながら、合流した四人で玄関に向かう。
ハリスは待ち伏せをした二人に大事ないことを確認し、ブレンダはアルディスが無事なことにほっとした顔をしている。
と言ってもカルロなどは返り血を沢山浴びてなかなかひどい様子になっていたのだが。
「……おい、アルディス?」
ふと、途中から沈み込んだように静かになったアルディスに気になってイグナスは声をかけた。
が。
「………………」
一向に返事がないどころか、すーすーという穏やかな寝息まで聞こえてきて、イグナスはさすがに驚いた。
(……あんだけ運び方嫌がっておいて、寝れるんじゃないかよ……)
小さく溜め息をついたイグナスは、しかしふとこいつも大変な思いしたんだよなと思い直す。
そして、起こさないようにと少し丁寧になるように彼女を抱え直し、振動が少なくなるように歩き方を心持ち静かにするのであった。