あの頃…
立花です、そう告げた後も彼の声は変わらず

いつも通り少し抑揚に欠けていて

それがうれしいような哀しいような、不思議な感覚に捕われた

「開演10分前になりました。どうぞホールの中にお進みください」

機械的な音声が天井から聞こえてきてふと現実に戻る

時計を見れば11時10分前

受付の人からパンフレットを受け取り会場に足を進める

開け放たれたドアをくぐって見下ろせば結構な人の数

ばらばらと座った人の背をぐるりと見渡すと

「黒崎先生」

漏れるのは小さな声

会場の前の方の通路側

そこに何度だって追いかけた

何度だって手を伸ばした背が居る

肘掛けに頬杖をついてけだるげに座っているところが彼らしい

数か月ぶりの姿に胸を埋め尽くすのは切なさ

思わずそっと瞳を細めつつ、数段降りたところの空いている席に腰かける

無意識に視線がいってしまうのを自覚しつつ、その背を眺める

やっぱりその背は遠く思えてふと息をついた
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