あの頃…
抱える膝は、夜風に当たってすっかり冷えてしまっている

春と言えど夜になれば風は冷たさを帯びる

そっと頬に手の甲を当てれば、やっぱり冷たい

さらさと頬を撫でていく髪は、とても頼りなくて

今の自分の余ようだとふと思う

握りしめる手は、泣かないため

ここで泣いたって何も変わらない

だから

「立花」

落ち着いた、凛とした声音に呼ばれてふと顔を上げる

「黒崎先生」

居るはずのない姿に無意識に名を呼ぶ

ほんの少しだけ期待していた、なんて言ったら怒るだろうか

「…なんで」

ここに

こんな暗闇の中見つめてくる漆黒の瞳が、どうしてかとても綺麗に映える

「なんとなくだ」



あんな消えそうな、今にも泣き出しそうな顔を見せられて放っておけるわけがない

仮にも、雇われでも、指導医なのだから


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