弁護士先生と恋する事務員
コムスメ食堂
午前10時。
「神原さん、お待ちしてました、どうぞ。」
ドアが開くと、尊君のお母さんがおずおずと入ってきた。
神原瑶子(かんばら ようこ)さん。30代後半くらいだろうか。
個人病院院長先生の奥さまだけあって、上品なツーピースと控えめな巻き髪が良く似合う美しい人だ。黒い瞳は、尊君の面影がある。
だけど、その瞳の下にはファンデーションでは隠しきれない疲れが見てとれる。
尊君が話してくれた神原家は、お父さんが独裁者のように権力を握っていて、尊君とお母さんは怒りに触れないように顔色をうかがいながら暮らしている、そんな感じだった。
そんな夫と一緒に数十年も暮したら、どんな美しい人でもドライフラワーのようにしおれてしまうだろう。
瑶子さんが暴君から解放されて、再び美しく輝いてほしいと、心からそう願わずにはいられない。
応接セットにお通しして、緑茶を出す。
二度目の離婚相談は、初回よりも少し詳しく話を進めていく。
離婚となった場合、親権は、養育費は、財産分与はどうなるかなど。
初めて来た時から瑶子さんは、どこか弱弱しく自信なさげに小さく縮こまっている。離婚はしたいが主人には逆らえないのではないかという弱気な心が見てとれる。
長い間、理不尽に服従させられてきた人は、みんな自分の行動に自信がなくなってしまうのだ。
そんな瑶子さんに、剣淵先生はいつもとは少し違う、優しく包みこむような声で一つ一つ、丁寧に話をしていく。
緊張していた瑶子さんも少しずつ肩の力が抜け、ときどき先生が軽めに挟む冗談にも、声を上げて笑うようになった。
瑶子さんは尊君がここに来た事を聞いているのかな。
尊君の気持ちは知っているのかな。
お金と地位と悪い意味で知恵のありそうなご主人だ。
すぐにすべてが解決することはないだろうけど
お母さんと尊君が心から安心して暮らせるようになればいい。
柴田さんが飾ってくれた風鈴が
今日も涼やかな音を響かせながら風に揺れている。