白紙撤回(仮
市ヶ谷の入れたコーヒーはやはり俺には苦かった。
部屋を見渡して一呼吸置く。

「そう言えば名刺に載ってた住所は何なんだ?」

「アレは仕事場だよ。ここは住居だから。たまに仕上げで人形を持って帰ったりするけどね」

コーヒーを口に含みながら話を切り出すタイミングを窺う。

「今さらだけど、ここって家族と住んでる?」

「まさか。見ての通り一人暮らしだよ。同居人は人形ってわけさ」

それを聞いて俺は愛想笑いを浮かべ市ヶ谷に切り出した。

「アシスタントの話……住み込みって訳にはいかないよな?」

市ヶ谷はコーヒーカップからピタリと手を止めて瞳だけを俺に向けた。

「図々しいね」

「いや、こんな広いマンションに一人暮らしとか!部屋、余ってんだろ!?」

「余ってるけど住み込みは無理だよ。ライフスタイルを乱されるのは嫌いなんだ」

「そこを何とか!余ってるなら部屋貸して下さい!今月の返済に給料飛ぶし、ぶっちゃけ家賃も滞納してて今、しんどいんです!」

俺の力説に市ヶ谷は視線を落としたが表情ひとつ変えなかった。
頭を下げたが返事が返ってこない。
やはり俺の考えは図々しいにも程がある。

「……すいません。今のなし。自分で何とかする」

俺が諦めて顔を上げた直後、市ヶ谷は聞こえるか聞こえないかの小さな声でぽつりと呟いた。


「川なんかに落ちなければよかったのに……」


その一言が俺の頭に響いて言葉の意図を聞き返す事が出来ず黙った。
俺は市ヶ谷の顔を見つめた。
市ヶ谷は短いため息をついて視線を俺の顔にゆっくりと戻した。

「ここは無理だよ。でも仕事場の部屋ならタダで貸してもいい」

「えっ!?」

予想外の返事に驚いて俺は思わずソファーから身を乗り出した。
市ヶ谷は君が頼んだんだろ?と呆れたように笑った。
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