死の迷宮から
死の迷宮から
【前編】

メアリー。

起きて、メアリー。

貴女の居場所は、此処じゃない。


「メアリー・アーデルウェル!」
ふと、メアリーは目を覚ます。顔を上げれば、怒り狂った教師の顔が、メアリーの視界に入った。
「いくら成績が良いからって、授業中に眠るとはどういう事かしら!」
「・・・・・・」
教師が文句を言っても、メアリーは反応を示さない。教師は呆れたように溜息をつき、教卓へと戻っていく。
「ねぇ、メアリー・アーデルウェルって、絶対"迷宮の少女(クラウディア)"の生まれ変わりだよね」
「ああ、あの、"伝説"の?」
耳に入ってくる小さな声にも、メアリーは特に反応を示さずに顔を伏せ、また眠りはじめる。
(伝説・・・ね)
目を閉じて、メアリーはゆっくりと思い出す。"この学園の伝説"を。

[小さな国の、小さな町外れの塔には魔女がいました。魔女は、人の役に立つ事が大好きな少女、クラウディア。しかし、人々はクラウディアを嫌い、クラウディアが街に入ることを禁じ、塔にクラウディアを閉じ込めたのです。それでもクラウディアは人間が好きでした。
けれどある日、クラウディアの住む塔にやって来た王子によって、クラウディアの生命は絶えます。毒薬を飲まされ、体を縛り付けられ、一方的に殴りつけられて。拷問のようなやり方で、苦しみながら殺されました。
クラウディアは、きっと今でも王子を怨んでいるでしょう。その塔には、今も怨念が募っているのです。]
しかし、メアリーはこの伝説が嘘だと知っていた。この塔は、この学園の敷地内にあり、沢山の本が置かれている蔵書なのだ。生徒は気味悪がってほとんど近づかないが、そこにクラウディアの怨念などなかった。
メアリーが蔵書で見つけた日記。多分、魔女と呼ばれ人々に忌み嫌われてこの塔に住んでいたクラウディアの日記。それを読むと、人にこそ嫌われていた彼女だが、毎日動物と戯れ、薬草や木の実を収穫する楽しい日々。"王子との恋"。結ばれることは許されなかったが、王子との恋はしっかり日記に記されていた。クラウディアは王子を愛していたし王子もクラウディアを愛していたのだ。だからメアリーは自分がなんと言われようと平気だった。あの塔はメアリーのお気に入りの場所だし、他の人がどう思おうと気にならなかった。
「メアリー、今日も塔にいくのかな?」
「知らなーい。もう、住んでるんじゃない?」
「本格的に伝説の魔女だねぇ」
授業が終わる鐘が鳴り、私はゆっくり席を立つ。真っ直ぐ向かう先は、あの塔。きっと、彼も待ってるはずだから。
∽∝∽
「メアリー」
嬉しそうに手を挙げる少年、ライアン・スージー。メアリーも彼を見てふわりと微笑む。
「ライアン、来てくれたのね」
教室で見せた無表情とは違い、まるで人形の様に美しい微笑。座って本を読んでいるだけの彼女は、とても絵になる。
「遅くなってごめん。今日はどの本にしようって迷ってたら・・・」
「良いの。そんなに迷って選んでくれた本、楽しみだわ」
よかった、とライアンは笑い、メアリーの隣に腰掛けた。ぼんやりとした明かりが、薄暗い塔の続く天井を僅かに照らし、美しい。そこに座る二人、まるで恋人同士のように体を寄せ合う姿も、一際輝いて見えた。
「これ・・・・・・塔の魔女の事を書いた本?」
「うん。君が見せてくれたクラウディアの日記に、一番近いことが書かれた本だったから」
「塔の近くの町外れに住んでいた老婆の日記ね・・・」
本を開く。メアリーは食い入るように本に目を通しはじめる。
[4.19
街に魔女がやって来たようだ。魔女が現れるのはいつぶりだろう。私は魔女を、歓迎する。]
[4.20
魔女が近くの古びた塔に幽閉された。なんでも、皇帝が魔女は災いをもたらすと、街に入れなかったらしい。ふと除いた窓から見えた魔女の横顔は・・・驚くほど美しい、ただの少女だった。]
[4.21
魔女と森で会った。名は"クラウディア"という。楽しそうに動物と戯れる姿はまさに少女。まがまがしい感じなどしなかった。
それからクラウディアとお茶を楽しみ、またお茶をする約束をした。孫が出来たようで嬉しい]
「ちゃんと第三者も見てたんだ」
ライアンがぽつりと呟く。メアリーは静かに頷いた。
[5.12
クラウディアの元に少年がやって来るようになった。クラウディアと並ぶと絵になる、美しい少年。少年と笑い合うクラウディアは楽しそうだ。]
[5.20
誰かに似ていると思っていたら、彼は帝国の王子にだったようだ。クラウディアをこの塔に幽閉した帝国の王子が、なぜ?早くクラウディアに知らせなくては]
「5.22
クラウディアは彼が王子だと気づいていた。しかし、彼を愛していた。彼も立場など関係なく、クラウディアを愛しているようだ。そんな若き二人が、幸せになるようにと願う」
「5.30
願いは叶わなかった。皇帝に二人の関係が知れたのだ。塔には沢山の兵士がやって来て、王子を連れ戻し、クラウディアを殺した。そして狂った王子は、自らに短剣を刺し自害した。ああ、私は何も出来なかった。本当の孫娘の様だったクラウディアを守れなかった。彼女の愛した王子も手を差し延べられなかった。愛しい愛しい、若き恋人達。どうか、天では幸せに。」
―――メアリーは静かに本を閉じた。老婆に感情移入したメアリーの瞳からは涙が流れていた。
「メアリー。泣かないで。僕が、いるから」
ライアンがメアリーの涙を拭い、手を握る。メアリーはごめんなさい、と首を振る。
「ありがとう。もう、大丈夫よ、ライアン」
「いや。別に泣いたって良いと思うよ。クラウディアや王子、老婆のために流す涙は悪い涙じゃない」
そして、二人は静かに微笑み合う。まるで二人だけの世界。不思議な空間。ライアンはメアリーに切りだそうとしていた。"好きだ"と。しかし神様はなんとも悪戯で、大きなドアがガチャリと開いた。ごく当たり前のように、少年が部屋に足を踏み入れる。後ろからは髪の毛が生き物のように跳ねる少女も入ってくる。ついに、二人の世界は今日も終わりを告げた。
「アシュト、コーデリア」
背の高い好青年―――アシュト・ウエス。妹のコーデリア・ウエス。メアリーは二人を見て顔を綻ばせる。
「まあ、ライアン!もう来ていたのね!」
コーデリアは嬉しそうにライアンに抱き着く。ライアンは笑って、うん、と答える。それを少し羨ましそうに見るメアリーの頭には、アシュトの大きな手が乗せられる。
「メアリー、今日の授業も寝てたって?」
「う、ごめんなさい。少し・・・・・・ってそういえば」
メアリーは寝ていた時見ていた夢を思い出した。メアリー、メアリーと自分を呼ぶ声。何か引っ張られるような感覚。たった、それだけの夢。
「どうした?」
「あ、ううん。なんでもないわ」
心配そうにメアリーを見るアシュトに、メアリーは微笑んで立ち上がる。
「アフタヌーンティーをしましょう。少し、お腹も空いてきたし。コーデリア、手伝ってくれる?」
「・・・仕方ないわね」
コーデリアは少々めんどくさそうに腰を上げ、メアリーと台所へ向かう。そんな二人の後ろ姿で、アシュトとライアンは苦笑いで顔を見合わせた。
∽∝∽
「・・・メアリー」
不意にコーデリアがメアリーを見上げる。メアリーが、なあに?と笑えば、コーデリアは俯きがちに口を開く。
「・・・メアリーはライアンが好きなんでしょう?」
「えっ」
メアリーは目を見開いてコーデリアを見つめた。何故わかったのだろうか。自分は、そんなに顔に出やすいのか。
「はっきりしてほしいの。メアリーがライアンを好きなら好きで私も頑張るし、好きじゃないならもうあんなふうにベタベタしないで」
「コーデリア・・・・・・もしかして」
「今更気づいたの?ずっとそうだったのに」
コーデリアは、ライアンが好き。メアリーは、ライアンが好き。じゃあ・・・ライアンは?彼はどう思っているのだろうと、メアリーは考えた。そんなふうに考えることなどなかったのだ。一緒にいるのが当たり前過ぎて、笑い合うのが、見つめ合うのが全て当たり前だった。普通の、なんら変わりない日常で。
「そう・・・・・・」
「・・・そうやって、メアリーはいつも真実を濁すわね」
「コーデリア?」
コーデリアが暗い瞳で言葉を紡ぐ。シンと静まり返る台所。コーデリアは暗い瞳のまま、メアリーを見た。

「結局メアリーは逃げてばかり。真実を記憶の奥底に隠して、二度と見ることはないんでしょう。―――そうやって、何年貴女は同じ事をしてきたの?」

メアリーにはわからなかった。コーデリアの言葉の意味が。わからないまま、お湯が沸き、紅茶の支度をする。
「早く行くわよ!」とメアリーを見上げたコーデリアの瞳は、いつものグリーンに戻っていた。
∽∝∽
メアリー以外は、寮に帰って行った。メアリーにも寮は用意されているのだが、せいぜい使うのは着替えとお風呂と睡眠ぐらいで、ほとんど部屋には戻らない。同室の人間もいないので別に困ることではないのだ。メアリーは、夜の小さな花畑で星空を見上げた。

"結局メアリーは逃げてばかり。真実を記憶の奥底に隠して、二度と見ることはないんでしょう。―――そうやって、何年貴女は同じ事をしてきたの?"

―――どういう意味、なんだろう。まるで、何十年も、何百年も前から私を知っているような、重くて暗い瞳。全てを見透かすような・・・。
「メアリー?」
とん、と肩に手を置かれてメアリーが振り向くと、そこにはアシュトが微笑んで立っていた。
「寒いだろ。どうした、こんな時間に」
アシュトはそう言いながらメアリーに上着を掛ける。ありがとう、とメアリーは掛けられた上着を握った。
「ねえ・・・・・・アシュト。こう思う事ってない?"自分は本当にこの世界の住人なのか""自分は本当にこの世界で生きているのか"って」
「・・・・・・」
アシュトは、小さく微笑んだ。また子供っぽいと笑われるんだろうか。
「この空を見てると・・・つくづくそう思うよ。自分はちっぽけで、この世界に何の意味も持ち合わせていない」
「アシュト・・・?」

「お前は何回、このことを俺に聞いた?」

アシュトが哀しそうに俯いた。
―――この話題をアシュトに言ったこと・・・あったかしら。
「なんてな。ハハ・・・さ、今日は帰ろう。送っていく」
「あ、・・・うん・・・」

"お前は何回、このことを俺に聞いた?"

皆、どうしたと言うのだろう。一体・・・何の事を言っているのだろう。メアリーは一人、考える。残酷な朝が、すぐそこまで迫ってきているとも知らずに。



翌朝、赤い薔薇の咲く裏庭で。

コーデリアが、





死んでいた。



「コーデリア・・・・・・?」

酷く、美しい顔で。

酷く、美しい姿で。

酷く、美しい血を流して。

鋭い棘の赤い薔薇に囲まれて。


コーデリアは死んでいたのだ。

"―――そうやって、何年貴女は同じ事をしてきたの?"


世界の色が、消えた気がした。




【中編】へ続く
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