死の迷宮から
【後編】
『思い出したかい?"本当の自分"を―――』
目を、開ける。涙がとめどなく溢れて。止まらない。
「すべて、夢?学園生活はすべて夢で・・・こんな残酷な世界が私達の世界だっていうの・・・?!」
コーデリアが顔を両手で覆いながら叫ぶ。アシュトも青ざめた様子で、ライアンも顔を歪めている。私は何も言うことが出来なかった。ただ、ただ悲しくて涙が溢れるばかり。それに気づいたのか、ライアンは優しく手を握ってくれる。暖かくて安心する手。ああ、私はやっぱり彼が好きだ。
『メアリー』
アリーが私を呼ぶ。全員の目がアリーと私に向けられる。
『君はね、もう幸せになっていいと思うんだ』
アリーの目が優しく細められる。見上げると、ふわりと抱きしめられた。
『誰かの幸せを願わなくていい。誰かの為に我慢しなくていい。君が幸せになる事を1番に考えていいんだよ』
「・・・・・・っ」
我慢・・・たくさんしてきた。でも、それを越えるほどの過ちを、侵してしまったと思うから。アリーの気持ちは嬉しいけれど、素直に受け止める事は出来ない。
『僕はね、今は君の意思として此処にいるけど・・・・・・実は小さな神なんだ』
「え・・・?神様・・・?」
『小さいけどね』
ふふ、とアリーが笑う。
『君はいつも蔵書の裏にある石版を綺麗にしてくれていただろう?誰もが僕を忘れてしまっていたから・・・・・・嬉しかったんだ』
小さな頃、本の神様だと言われていた石版を毎日掃除していた。もっと本が読めますように。そう願いながら。
『小さな神だけどね・・・君の願いを叶えたいんだ』
『選んで、』
『ライアンのいない世界で幸せに生きる?』
『それとも、』
『君が眠り、ライアンを生き返らせたい?』
自分の幸せを願っていいと、神様に言われた。だから私は、神様の言うとおりに"ライアンのいない世界で幸せに生きる"という選択をすべきなのかもしれない。でも、目を閉じて思い出すのは、あの人の顔。
《メアリー・・・"愛してる"》
苦痛に侵されてもなお、私に愛の言葉を囁いたライアン。そんな、最後の言葉みたいな事を、言わないでほしかった。
「・・・アリー、私ね・・・」
―――大好きな人を、救いたい。
窓を開けると、暖かな陽射しと、心地好い風に乗った花の香りが舞い込んで来る。ライアンは陽射しに少し目を細めて、白のカーテンを閉めた。そしてベッドの横に椅子を置き、そこに腰掛けた。
「メアリー」
ライアンは、ベッドに横たわるメアリーの手を優しく握った。
「今日はすごくいい天気だよ。花が綺麗に咲いてて・・・・・・本も読みやすい」
「君の息子の、アトラスも元気だよ。毎日君の本を読んでいて・・・・・・」
「君が育てていた野菜も果物も美味しそうに食べていて・・・・・・」
「笑顔が・・・君にそっくりなんだよ」
涙が出そうになるのを必死に堪えて、メアリーの髪を優しく梳く。柔らかな髪は、昏睡状態の今でも同じで。すぐにでも目を醒ましそうなのに、決して醒まさない。ライアンは暫く彼女の顔を見つめていた。やがて、また明日と声を掛けて椅子から腰を浮かせたときだった。
「―――ライアン、いいか?」
コツリというヒールの音と共にアシュトとコーデリアが控え目に顔を覗かせた。
「・・・・・・謝って許してもらえるとも元に戻れるとも思っていない。でも・・・・・・最後に彼女に、ちゃんと謝りたいんだ。もう二度と、君と彼女の前には現れない。だから・・・・・・謝らせてもらえないか」
アシュトは深くライアンに頭を下げる。もう狂気は感じられない。アシュトを見て、コーデリアも勢いよく頭を下げた。
「わっ、私も・・・貴方を撃った事・・・本当に後悔してるの。私が貴方を撃たなければ・・・もっと違う道があったかもしれないのに。本当に・・・・・・ごめんなさい・・・っ」
ライアンは何も言わなかった。何も言わずに、ベッドから少し離れた。アシュトは小さく目を見開いてから、ありがとうと呟いた。
「メアリー。君を、愛していた。でも・・・俺はお前を傷つけてしまった。許してくれとは言わない。ライアンの為に、アトラスの為に・・・目を醒ましてほしい。目を醒ましたら、今度こそ自分の幸せを一番に考えてくれ・・・・・・」
メアリーに触れようと、少し手を伸ばしたアシュトだったが、寸前で手を止めた。そして、コーデリアを連れて、最後にまた深く頭を下げてから病室を出て行った。
「・・・・・・許しているよ。僕はきっと許せないだろうけど・・・メアリーは君達を許しているよ。そして、君達の幸せを願ってるよ」
もう姿の見えない二人に向かって、ライアンは囁く。まるでメアリーの気持ちを代弁するかのように。
「メアリー。また明日・・・・・・明日も、君に会いに来るから」
そっと額の髪を避けて、口づけを落とす。彼女が目を醒ましますように。お伽話で王子が姫にするように。願いを込めながら。
「愛してるよ、メアリー」
ふと。
目を醒ますはずのない彼女が、笑った気がした。
彼女の長い睫毛が、小さく揺れる。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけその瞳が開かれる。
「・・・・・・」
でも。
彼女が目覚めるのは、
今ではない。
メアリー。
メアリー。
貴女の、居場所は―――。
END
『思い出したかい?"本当の自分"を―――』
目を、開ける。涙がとめどなく溢れて。止まらない。
「すべて、夢?学園生活はすべて夢で・・・こんな残酷な世界が私達の世界だっていうの・・・?!」
コーデリアが顔を両手で覆いながら叫ぶ。アシュトも青ざめた様子で、ライアンも顔を歪めている。私は何も言うことが出来なかった。ただ、ただ悲しくて涙が溢れるばかり。それに気づいたのか、ライアンは優しく手を握ってくれる。暖かくて安心する手。ああ、私はやっぱり彼が好きだ。
『メアリー』
アリーが私を呼ぶ。全員の目がアリーと私に向けられる。
『君はね、もう幸せになっていいと思うんだ』
アリーの目が優しく細められる。見上げると、ふわりと抱きしめられた。
『誰かの幸せを願わなくていい。誰かの為に我慢しなくていい。君が幸せになる事を1番に考えていいんだよ』
「・・・・・・っ」
我慢・・・たくさんしてきた。でも、それを越えるほどの過ちを、侵してしまったと思うから。アリーの気持ちは嬉しいけれど、素直に受け止める事は出来ない。
『僕はね、今は君の意思として此処にいるけど・・・・・・実は小さな神なんだ』
「え・・・?神様・・・?」
『小さいけどね』
ふふ、とアリーが笑う。
『君はいつも蔵書の裏にある石版を綺麗にしてくれていただろう?誰もが僕を忘れてしまっていたから・・・・・・嬉しかったんだ』
小さな頃、本の神様だと言われていた石版を毎日掃除していた。もっと本が読めますように。そう願いながら。
『小さな神だけどね・・・君の願いを叶えたいんだ』
『選んで、』
『ライアンのいない世界で幸せに生きる?』
『それとも、』
『君が眠り、ライアンを生き返らせたい?』
自分の幸せを願っていいと、神様に言われた。だから私は、神様の言うとおりに"ライアンのいない世界で幸せに生きる"という選択をすべきなのかもしれない。でも、目を閉じて思い出すのは、あの人の顔。
《メアリー・・・"愛してる"》
苦痛に侵されてもなお、私に愛の言葉を囁いたライアン。そんな、最後の言葉みたいな事を、言わないでほしかった。
「・・・アリー、私ね・・・」
―――大好きな人を、救いたい。
窓を開けると、暖かな陽射しと、心地好い風に乗った花の香りが舞い込んで来る。ライアンは陽射しに少し目を細めて、白のカーテンを閉めた。そしてベッドの横に椅子を置き、そこに腰掛けた。
「メアリー」
ライアンは、ベッドに横たわるメアリーの手を優しく握った。
「今日はすごくいい天気だよ。花が綺麗に咲いてて・・・・・・本も読みやすい」
「君の息子の、アトラスも元気だよ。毎日君の本を読んでいて・・・・・・」
「君が育てていた野菜も果物も美味しそうに食べていて・・・・・・」
「笑顔が・・・君にそっくりなんだよ」
涙が出そうになるのを必死に堪えて、メアリーの髪を優しく梳く。柔らかな髪は、昏睡状態の今でも同じで。すぐにでも目を醒ましそうなのに、決して醒まさない。ライアンは暫く彼女の顔を見つめていた。やがて、また明日と声を掛けて椅子から腰を浮かせたときだった。
「―――ライアン、いいか?」
コツリというヒールの音と共にアシュトとコーデリアが控え目に顔を覗かせた。
「・・・・・・謝って許してもらえるとも元に戻れるとも思っていない。でも・・・・・・最後に彼女に、ちゃんと謝りたいんだ。もう二度と、君と彼女の前には現れない。だから・・・・・・謝らせてもらえないか」
アシュトは深くライアンに頭を下げる。もう狂気は感じられない。アシュトを見て、コーデリアも勢いよく頭を下げた。
「わっ、私も・・・貴方を撃った事・・・本当に後悔してるの。私が貴方を撃たなければ・・・もっと違う道があったかもしれないのに。本当に・・・・・・ごめんなさい・・・っ」
ライアンは何も言わなかった。何も言わずに、ベッドから少し離れた。アシュトは小さく目を見開いてから、ありがとうと呟いた。
「メアリー。君を、愛していた。でも・・・俺はお前を傷つけてしまった。許してくれとは言わない。ライアンの為に、アトラスの為に・・・目を醒ましてほしい。目を醒ましたら、今度こそ自分の幸せを一番に考えてくれ・・・・・・」
メアリーに触れようと、少し手を伸ばしたアシュトだったが、寸前で手を止めた。そして、コーデリアを連れて、最後にまた深く頭を下げてから病室を出て行った。
「・・・・・・許しているよ。僕はきっと許せないだろうけど・・・メアリーは君達を許しているよ。そして、君達の幸せを願ってるよ」
もう姿の見えない二人に向かって、ライアンは囁く。まるでメアリーの気持ちを代弁するかのように。
「メアリー。また明日・・・・・・明日も、君に会いに来るから」
そっと額の髪を避けて、口づけを落とす。彼女が目を醒ましますように。お伽話で王子が姫にするように。願いを込めながら。
「愛してるよ、メアリー」
ふと。
目を醒ますはずのない彼女が、笑った気がした。
彼女の長い睫毛が、小さく揺れる。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけその瞳が開かれる。
「・・・・・・」
でも。
彼女が目覚めるのは、
今ではない。
メアリー。
メアリー。
貴女の、居場所は―――。
END