シュガーレスキス
 課長の滞在期間が過ぎて、あの日の事が嘘だったように僕にはクールな態度を崩さないまま彼女は帰ってしまった。
 あれから、僕は後藤さんに何かを仕掛けるという気分になれなかった。
 頭の中は、いつも甘く優しい課長のささやき声でいっぱいだ。

 このままあの人を失ってしまうのは、人生の大事なチャンスを捨てるのと一緒だと感じた。

 連絡方法は個人で持っている社員用携帯の番号だけだ。
 冷ややかな声で「あの日の事は忘れてちょうだい」と言われるのを覚悟して、僕は彼女の携帯に電話をした。

『はい、八木くん?どうしたの?』

 思ったより普通の声で、応対してくれた。

「あの……仕事中申し訳ありません。僕の勘違いだったら恥ずかしいんですが、僕は……あなたにアプローチしていいんでしょうか」

 他の社員には絶対聞こえてはいけないと思って、社外の車通りの多い道路端で僕は携帯を手にしていた。

『これ以上女に恥かかせないで。あの日の言葉で私の気持ちを理解出来ない程の鈍い男だったら、私はもうその男に用は無いわ』

 彼女がどこで電話しているのか分からなかったけれど、内容は明らかに僕を受け入れたいという言葉だと解釈した。

「わかりました。週末空けておいてくださいね」
「いいわよ。あとでメールに私の個人携帯番号送信しておくわ」

 それだけ言って彼女は通信を切った。
 裏表のある理解不能な男と言われ続け、付き合った女性には逃げられてばかりだった僕が……思いもかけず高嶺の花を手に入れる事になった。
< 126 / 281 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop