シュガーレスキス
「逆行性健忘症ですね」

 医者はそっけなくそう言った。

「外傷は大した事ないですし、ご自分の名前も住所も分かっていて、仕事の事もほとんど記憶しているようなので……まあ、退院しても問題は無いと思います」

 そう言われても、私との付き合いを完全に忘れてしまっている彼をどうしたら戻せるんだろう。

「失った記憶に関しては、戻る場合もありますし、そのまま脳の記憶組織が切断されたままになる場合もあるので……何とも言えませんね。とにかく脳出血などが無かったのが幸いだったと思ってください」

 医者は最悪な場合を例に出して、今の状態はそれよりずっとマシなのだと言った。
 確かに……聡彦の命が助かる事が一番だ。

 でも、私を忘れてしまった彼との付き合いは……どうなるんだろう。

「とりあえず、あなたのアパートを知ってるから案内するわね」

 私はまだ少しぼんやりしている聡彦の手をとってタクシーに乗った。

「俺、アパートも覚えてるし……後藤さんとの事以外は大体ハッキリしてるんだけど」

 一番つらい事を言ってくれる……。
 あなたが強引に私を好きだと言った、あの日々さえ忘れてしまったっていうの?

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