シュガーレスキス
 本当なら、お互いに少しずつ思い出を語り合って……心を通わせるのが先なのだ。
 唐突に体の関係があった事や、結婚も視野に入れていた事なんか……話せない。

「私達、時々お互いのアパートに遊びに行く間柄だったの」

 こんな無難な言葉しか出なかった。

「分かってるよ、部屋に君の服とかお化粧品とかあったし。二人で撮った写真も携帯に入ってた。だから……まるっきり他人だとは思ってないし。どちらかというと強い好感を持ってる。だから……付き合いは続けたいって思うんだけど」

 聡彦だけれど、聡彦じゃない。
 私をちゃんと覚えていてくれているなら、「俺が菜恵を忘れるわけねーだろ?馬鹿じゃないのか?」なんて言ってるに違いない。
 こんなに優しい言葉を選ぶっていう事は、相当気を使ってる証拠だ。

 それが分かってしまって、私はますます言葉が出なくなった。

「私は、付き合いを続けるべきかどうか悩んでるの。いちから好きになる人が現れるかもしれないし、ちゃんと記憶が戻ったら私は必ずあなただと分かるわ。だから……それまでお別れした方がいいような気がする」

 言おうとしていた事と真逆なセリフが口をついて出た。
 今私が言った言葉は、つまり……お腹の子供を見捨てるのと一緒だったのだ。

 長く話してしまうと、またパニックを起こしてしまいそうだったから、グラスにまだたっぷりと飲み物が残った状態で私は席を立った。

「じゃあ。また機会があったら会いましょう」
「君がそうしたいなら、俺は強引な事は言わない。でも……君を好きな気持ちはあるっていう事だけは覚えていて」

 私の腕を軽く掴んで、聡彦は私が立ち去るのを止めた。
 彼の目を見れば、確かに私に好感を持ってくれているのは分かる。
 でも、だからといって彼の一生を決めてしまうような事は、やっぱり言えなかった。
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