シュガーレスキス
 病室に入ると、カーテンで仕切ってある4人部屋の窓際に、彼女は寝ていた。
 何も食べられないと聞いたから、スッキリしそうなジュースだけ数本持ってベッドサイドに座った。
 彼女は点滴を受けながら目を閉じていて、どうやら眠っているみたいだった。
 ほっそりした彼女の白い手を握って、何だか俺はとんでもなく深い罪を犯してしまった気がして、涙が出てきた。

 どれだけ悩んだ事だろう。

 どれだけ傷ついた事だろう。

 この弱々しい女性が、俺の為に嘘をついたまま子供を一人で産もうとした事を考えて胸が痛くなる。

「ごめん……何も覚えてないわけじゃない。こうやってれば……思い出す気持ちもちゃんとあるよ。君をきっとこの世の何よりも大切に思っていた事を、俺の体が覚えている。ただ、その愛を交わした映像を思い出せないだけなんだ」

 俺の声を聞いて、彼女が薄く目を開けた。

「聡彦……」
「菜恵」

 俺が彼女をそう呼んでいた事は分かっていたから、出来るだけ心が近くなるように名前を呼んだ。

「何で言わなかったんだよ」
「え?」

 唐突に俺がそう言ったから、菜恵は驚いて目を大きく開けた。

「子供が出来たって……何ですぐに打ち明けなかったんだよ。あと少しで、俺は最低な男になるところだっただろ?」

「だって……だって。聡彦には私を愛した記憶が無いでしょ?」
「馬鹿」

 体も心も弱ってる菜恵を相手に、俺が言った言葉は何故かひどい口調だった。
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