シュガーレスキス
仕事さえ出来ていれば、男としてはそこそこのラインに立っているだろうと思っていた自分のあさはかさを感じて、軽く笑いがこみ上げる。
人間の深さっていうのは、窮地に追い込まれた時に知られてしまうものなんだな。
俺の場合、自分で評価していたより相当浅いラインに生きていたというのを自覚した。

記憶を無くした男の子供を一人で産み育てようと覚悟をした菜恵。
彼女は見た目より、ずっと広くて大きな心を持った女性だ。

やっぱりそうだ。
俺の体が記憶している通りなんだ。
彼女が別の男と言葉を交わす事にさえ苛立ちを覚えるほどに、俺は菜恵を独占したがっていた。
だから、如月に対しては本気で殴りかねない感情が沸いた。

靴の中にも雨が入り、髪からしたたった雨が鼻筋を通って唇に落ちてくる。
夏の生ぬるい雨。
もっと俺の体を冷やしてくれ。
こんなにも弱くて情けない俺の羞恥心を、気化熱で奪い取って欲しい。

ぼんやり歩いているうちに、菜恵のアパート前までたどり着いていた。
玄関には涙をためたまま立つ菜恵の姿があった。

「菜恵……?」
「聡彦!!」

あの日と同じだ。
菜恵が自分の身を投げ出すように俺に抱きついてきた。
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