麗しの彼を押し倒すとき。
「なっちゃん!」
気がつくと、右手を振り上げた男の身体を突き飛ばしていた。
不意を突かれた男は意外と簡単によろめき、転びはしなかったものの数歩その場から移動する。
「早く!こっち!」
すかさずその隙に唖然としているなっちゃんの手を取って走り出す。
後ろから男が追いかけて来ないか確認しつつ、無我夢中で脚を動かした。
家の角をジグザグに走り抜け、息が乱れてきた頃、それまで黙っていたなっちゃんが、「柚季!」今思い出したかのように私の名前を呼ぶ。
「はぁっ…はっ…」
「っおい、止まれって…」
「…っは……はあっ…」
「このっ…バカ」
ぐんっと身体が後ろへ引っ張られる感覚に我へ返った。
瞬間右足に負担がかかり、踏ん張ることができず身体がふわりと宙に浮く。
「きゃ…!」
……転ぶ!
そう思ったものの、私を迎えたのは硬い地面ではなくたくましい腕だった。
「こんのバカ女!」
瞑っていた瞼を持ち上げると、珍しく必死な顔をしたなっちゃんと目があった。
予想以上に近い距離と抱きしめられるようにして支えられているこの状況に、不規則になっていた呼吸が余計に乱れる。