麗しの彼を押し倒すとき。
と、思った瞬間。
「どーも、桐谷さん」
「わっ…」
前列の男の子が、私の机に肘をついて、満面の笑みでこっちを見ていた。
「ごめん、驚かせちゃった? 俺、桜庭央汰(さくらば おうた)おーたって呼んで?」
典型的な自己紹介を終えた彼は、唖然としている私の前に手を差し出すと、求めるようにその手をゆっくり揺らした。
誘われるように彼の手に自分の手を重ねると、満足したように人懐っこい笑みを漏らす。
「よろしくねー柚季ちゃん」
「よ、よろしく。おーた?」
「何で疑問形なんだよー」
そう歯を見せ笑う彼に、何だか犬みたいな人だな、と同じように笑ってしまった。
チャイムが鳴り、ふなもっちゃんと入れ替わりに入って来た先生が号令をかけると、一限目の数学の授業が始まった。
前に向き直った央汰の背中から視線をずらすと、私の左隣の席が空いていることに気がつく。
空っぽの席を見つめながら、頬杖をついた。
……何か疲れたなぁ。
天井のシミを見つけ、静かに吐き出された溜息は、これから私が過ごすことになる教室の一部となって消えた。