麗しの彼を押し倒すとき。
「なぎ…?凪ちゃん?」
信じられないと思いながら呟いた私の声は、頼りなく彼へと届いただろう。
そう、目の前で私の幼なじみである、鮫島凪の名前を口にした彼へと。
まるで世界でこの場だけが、時間という概念を失ったようだった。
静かな部屋の中で、彼は私の訝しげな視線から逃げることなく「…柚季」とだけ呟く。
どうしてだろう。彼の事なんて少しも知らない筈なのに、呼ばれた声に懐かしさを感じるなんて。
交わり続ける視線に困惑しながらも逸らせずにいると、それは彼の方から終わりを告げた。
「ちょっと待ってろ」
未だにこの状況を信じられずに、立ち尽くしていた私のそばを通り過ぎると、彼は颯爽と部屋を出て行こうとする。
軽く風を起こして過ぎ去った中に、香水のような爽やかな香りを見つけた。
「…な、にあの人」
パタンと閉じた扉の音で、失っていた時間を取り戻したように身体が軽くなった。
彼は鮫島凪と名乗った。
確かに、私が小さい頃毎日のように遊んでいた幼なじみの凪ちゃんの名前は、鮫島凪だった。
だけど凪ちゃんは女の子だし、それに…。
「あんな変な人知らない!」
私は振り返ると、ついさっき彼が出ていったばかりの扉に向かって叫んだ。
きっと同名なだけであって、同性なわけではない。