麗しの彼を押し倒すとき。
「柚季、今日の放課後空けといて」
突然、いじっていたスマフォから顔を上げ、椿が言った。
「……へ?」
それだけ告げるとポケットにスマフォをしまい立ち上がる。
間抜けな声を出した私に目もくれず、「じゃあよろしく」とだけ言うと、そのまま嵐のように保健室を去ってしまった。
……なに、あれ。
呆気に取られたまま椿の出て行ったドアを見つめる。
………ぐぅ…
静かになった部屋に響いたのは他でもない、私のお腹の虫が鳴いた音だった。
こんなタイミングで知らせるなんて、人間の生理現象とは常に正直だ。
「あら、お昼まだなの?」
桃子先生に言われ、そこでやっとお昼ご飯を食べていなかったことに気がついた。
「そういえば……」
食堂に行こうとしてたところで、凪ちゃんに連れ去られたんだった。
一度自覚してしまうと、余計にお腹が空いてくる。
これ以上鳴らないようにお腹を押さえていると、不意に目の前に何かが差し出された。
視界に入ったその “何か” が脳内で食べ物だと認識されると、一瞬収まっていた私の腹の虫がまたぐうぐうと鳴き出してしまう。
「こんな物しかないけど、良かったら食べる?」
「……はい」
桃子先生が言い切る前に、すでに私の手は差し出されたメロンパンに伸びていた。
「すみません…ありがとうございます」
おずおずと受け取り頭を下げた私に、「いいのよ、全然。むしろ食べてくれた方が助かるの」桃子先生が笑い混じりで答える。
「なんかね、母親が福引きでパンの詰め合わせ当てたらしくって、私一人暮らしなのに実家から大量に送られてきたのよ…」
「へぇー…パンばっかり?」
「そう。そのせいで最近毎日パンばっかりで飽きちゃって……それにそのメロンパン今日までだから早くどうにかしないとって思ってたところだったの。
だからちょうど柚季ちゃんが食べてくれて私も助かったわ。
……でもまぁ、お昼ご飯って言ってももうこんな時間だけどね」