黄昏に香る音色
「あんたは…中国人じゃないねえ…」

老婆の質問に、

食べ終わったお皿に、また手を合わせてから、和美はこたえた。

日本と。

「日本!…そりゃあ、遠い国だねえ」

和美はもう一度、窓から星空を見上げた。

確かに遠いわ。

「何しに、こんなところまで来られたんじゃ?」

「歌を歌いに…」

「歌?」

和美は頷いた。

「どうして、こんな土地に、歌を歌いに?日本には、歌うところがないのかい?」

「いっぱいあります。でも、自然の中で歌いたかったんです」

密封されたライブハウスや、舗装された道路の上ではなく、青空と土の上で、歌いたかった。

日本は音楽など、カルチャーに関しては、開かれた国ではない。

音楽もどこか産業…金のにおいが強かった。

有名になりたいとか、金持ちになりたいとか、成功したいとか、

元来、歌うこととは、関係ないはずだ。

和美は歌手としての、本来の姿を求め、

日本を出て、この土地に来た。

何も持たず、声だけで。

でも、

(行き倒れてる場合じゃないわ)

和美は、ため息をついていると、

「一曲、歌ってくれんかのう」

突然の老婆の頼みに驚いた。

「もう夜だから、静かな歌がいいんじゃが…無理には言わん」

和美は目をつぶり、静かに息をして、この土地の空気を感じる。

やがて、

和美の喉から発せられた歌は、

美空ひばりのりんご追分だった。

ジャズやロックは、出てこなかった。

日本語の歌。

自分でも驚いたけど、この土地の空気が、この曲を歌わせた。

歌い終わると、子供は大拍手をした。

老婆は感嘆した。

「あんたは本当に…歌手なんだねえ」
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