黄昏に香る音色
自分自身に舌打ちすると、
サックスを手にとり、凄まじいブロウを繰り広げる。

それは、泣き声のようだった。

啓介は、汗だくになりながら、吹きまくる。

明日香は、啓介の音を聴いていた。

啓介は吹き終わると、

「帰れない。今は」

また壁にもたれかかり、

「今、帰ったら…怒られる。例え…賞が取れなくても、許してくれる。だが、途中で帰ったら…絶対許さない。そういう母親だ…」

啓介は、サックスを置いた。

明日香は啓介の汗を、ハンカチで拭ってあげる。

「啓介は、天才だよ。だから、絶対取れるよ」

「俺は、天才じゃない」

「この国に来ても…啓介以上の音を、聴いたことないもの」


「フッ…天才なんて…自分で思うものじゃなく、他人が評価することだ」

「あたしは、あなたをそう思うわ」

啓介は、少し照れながら、明日香から視線を外し、

「俺のお袋は、天才だった。どんなに…否定的に聴いても、天才だ」

啓介は、明日香から離れ、
スタジオにある楽器達に触れる。

「安藤啓介…天才の息子…。皆、俺をそう見る。俺が、吹けるのも、お袋の血をひいてるからだと!でも、違う!俺の音は、血なんかじゃない!母さんの愛情から、生まれた音なんだ!」

啓介は叫んだ。

「KKで…いろんな人に支えられて、生まれてきたものなんだ。安藤理恵は、みんな知っている。だけど…」
明日香は、啓介を見守っている。

啓介の思いが、伝わってくる。

「速水恵子を知る者は、ほんの一部だ!俺は、母さんの息子として…母さんの音を、みんなに伝えたいんだ」

啓介は、明日香を見た。

「マリーナ・ヘインズはこの前、明日香に…和美を利用してると言ったが…利用してるのは、俺だよ」

啓介は、ドラムセットの中で座り込む。

「俺は…お袋も和美も、利用している…最低なやつだ」

明日香はゆっくりと、啓介に近づき、

ぎゅっと抱き締める。

明日香には、言葉がなかった。

抱き締めるしかなかった。



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