まりあの日記
私は手足の感覚がない。 2011年12月03日01:14 あるのは、足の裏と手のひらと一部の関節と太もも半分、二の腕半分。
14年前、こどもをなくし、その罪をかぶった時に、首から下の感覚が全てなくなった。
108キロの体重から
手足だけが肉が落ち、立つこともできず
手足だけで28キロ落ちた
首ではってトイレに行った
こどもたちにごはんを食べさせてもらった
前の主人の嘘に、声もでなくなり、やっと動かせた右手で筆談をした。
リハビリにも通う時間もなく、週に三回、筋肉を固めない注射を打ってしか、呼吸も心臓も止まった。
こどもたちに手足を激しく競争で動かさせ
皮膚病の足の裏をひび割れさせて
痛みでなんとか立ち上がり、車椅子を自分の手で動かせるよう、必死で自分でリハビリした。
主人を三年思っていた時、私は欠陥だらけだからと、何の期待もせず、誰にも一言も言わなかった。
けれど、涙が枯れ果てた時、彼が私を受け入れてくれたどころか、墓にはいるまで一緒にいてほしいとすら言ってくれた。
主人は厳しかった。
包丁を使う手を心配しながらも手伝わない
自転車に乗っても、後ろでなく前を走った
不可能な距離も、手をつなぎ、
もう少し頑張ろうと歩かせた
10日で10年うってきた注射がいらなくなった。
1ヶ月で固まった喉がおさまり、まともに歌えるようになった。
体が固まろうとすると
何時間もなでて、大丈夫、大丈夫と言ってくれた。
結婚して11ヵ月たった今、一キロは歩ける
最初はギアも入れられなかったバイクも、
ドラムマニアで左手と左足だけ思うように動くように訓練して
22回の教習で19回こけて、三回大怪我しながら、バイクの免許をとった。
握力0の私が重たいバイクを支えて乗って
本当に大変だった
でも、不可能ではないんだ。
くじけそうになっても
不可能じゃないって思い込むことが、可能にしていくんだ。
いつしか、私が可能にした時、みんなの不可能は可能になると願掛けて頑張った。
一年後、2人で四国88カ所を回るんだ。
その時、今いるみんなが笑顔になってると、私は信じてる。
人を愛する力は強い
不可能なんてないと思う。
頑張って、最低私以上にみんな幸せになるんだよ。