まりあの日記

人生で一番嬉しかったこと編集する  2012年10月06日12:58 人生の長さが違うから
それぞれ「一番」は違ってくるかもしれない

私は
今の主人に、給料明細をもらった時だ

彼の妻になったことを実感して
あれ程嬉しかったことは、他にはない

そして
泣きじやくってた人が
摩玲愛さんのおかげで
と幸せな姿を見た時だ

私には
信者や部下はいない
いるのは、同じ時代を生きる
「仲間」だけだ

命令することも、強要することもない

でも、その人の人生に責任を感じるから
厳しく言ったり、怒ったりはするけど
「可愛い」と思えなければ、何も言わない

子供も、仲間も、バカな子程なんとかしてあげたいと思うからかな


私は、1億3千万人の運を預かってる
私に会って、すぐに良くなったりするのは
もらってなかった自分の運を
もらうからだ

すぐに変わる人は、それだけ運のムダ使いをしてきたから
少しのことも大きいのだろう

私にメールする、電話する、会う、思う、依頼する度に
少しずつ自分の分をうけとっていく

私を知らない人は、私が死ぬ時、その運をちゃらにして受け取れなくなる

そもそも、そんなものを1人のちんけな人間がもってるなんて
誰も理解できない
きっとみんな
半心半疑なはずだ

でも、5年たってごらん
最初に悩んだことは解決してる

出会わなかったら、そんな解決は見れなかった形で

人間は
願いが叶った時に
後転する、退転する

どうしてそうなれたか
そこまでどれだけ苦しんだか忘れて
贅沢を言うようになる

それでは、
自分の運を受けとり続ける権利を失うような出来事がおきる

その時に
私はあの時、摩玲愛さんにこう思って
どれだけの感謝をしたか

を思い出せれば
離れてしまうことはない

私はお人良しだ
何かしてくれたことには、必要以上にしようとする

その人を他の人より大事に思うと
何故か失うはめになる

その人は私がどれだけの思いで
大事にしてきたかを忘れて
うらみごとしか言わなくなる

その人が離れても
私は追わない
ただ泣くだけだ

退職金のように少しまとめて
運をもらうと
もっとムダ使いの人生を送って
そのあとは転がるだけだ

どこかで私を思い出すことを祈るしかない

遠隔と摩玲愛印以外
私から運をあげることはない

あとは、あなたの思いが自然に受けとる資格を得ていくのだ

私と出会ったことが、今は一番嬉しい
という人は、水が流れるように受けとるのだろう


それで願いが叶った時
その想いを忘れたら、きっとダメだ

私があと何年生きるかわからないけど
10年でも3650日しかない

その1日1日受けとり忘れても
あとで取ることはできない

私に娘が生まれても
その子が持つわけではない

私の命のオプションだから

私の代わりに守ることを
使命として生まれるだけだ

そして、生むこと、13才まで育てること
が私の使命なのだろう

だからどんな病気になっても死ねないんだろう

腎不全を3回した
くも膜下出血を何回も氷だけで治した
余命半年といわれるガンに2回なって
ガンが全て消えた

そんなことが普通にありえない
カルテなしなら医者も信じない

それは生きる使命が残ってるからだ

人は病気で死ぬのではない
使命が生きることか死ぬことかの選択をするために病気になる

その病気で、苦しみを知り
その苦しみからぬける努力と意欲が
自分の人生の喜びとなる生命力があれは
生きる使命
苦しんだ姿に、それまでに回りの人が感謝を抱くなら
回りの思いによってどちらにもなる

回りに感謝がなく
自分にも生命力がなくなった時
人は病気で死ぬのだ
使命がなくなったから

使命のある子は、障害があっても、流産などしない

死ぬことに使命のある子は、たくさんの思いを残して次の人生を選ぶ

あなたの使命はれんあいではない

そこから生まれる未来だ

あなた達がどれだけ苦しいかわかってる
私だって、3年近く泣いてたんだ
好きな人が他を想う苦しさも知ってる

どれだけ無理難題を言ってるかもわかってる

けれど、それが、幸せになる方法なんだ
幸せを知らない人が幸せは語れない

私は大好きで、相手されるはずもない人と幸せを得ることができた

だからこそ言えるんだ

私が彼と幸せでい続ける方法を私が書けば、彼は見てイヤだろう

けれど、私に集う人達を幸せにする使命のある私を守る彼には、それも使命なんだと思ってる

GREEでかかえて、ついてきた人たちが、それぞれ、幸せそうな姿を見れるようになった5年たった時
私は命を落とすかもしれない手術をした

その時に何もしてあげてなかったのが主人だった

摩玲愛印を渡たし
これで彼も私がいなくなっても、いっか幸せになれる
と確信して、手術室に入った

まさか、その幸せが私と共にあることとは知らないで

先日、主人と同期の子と話して
「大出世ですよね」
話していた

そして、コミュニティの書きこみに
主人のことを
ハンネでも名前でもなく
旦那さん
と書かれていた

仲間が私の伴侶になったことを
認められた気がして
本当に嬉しかった

私が心から幸せな時は
空が澄む
私が泣くと
空が泣く

子供の頃からそうだった
梅雨以外

自分がそんな命を持ったことを恨んだこともある
死なないとやめられない命だから
何度も死のうとしたこともある

手足の感覚をなくして障害者となった時
子供にごはんを食べさせられながら
自分で死ぬこともできない状態が一番つらいことを知った

脳の指令がいかないと人間何もできない

だったら霊なんて、何もできるはずがない

「死者の無念は死者のもの
怨念は生きるものが作り出した幻し」
ワンピ一スの中のセリフだったと思うがその通りだ

死んだものや先祖に何のつみもないのに、その人たちのせいに平気でする、日本は罪な国だ

までわされるな、あせるな

幸せは、私に出会えて、毎日かかわった5年後あたりにある。

それまでに、
たくさん考え、たくさん涙して

一番嬉しいことをいくつも心に刻み込んで欲しい






< 22 / 159 >

この作品をシェア

pagetop