家族
 家の戸の前で春夫は大きく深呼吸をした。気持ちを落ち着け、そして春夫は静かに戸を開けた。
 玄関の明かりは消えていた。家の中からは何の物音もしない。外からの明かりを頼りに靴脱ぎに並べてある靴を確認する。帰っていないのは、義兄の八州男と甥の貞夫だけのようだ。音がしないように玄関の戸を閉め、靴を脱ぎ、足音を忍ばせ廊下を歩いた。
 部屋の戸はすべて閉まっていた。皆それぞれの部屋にいるのだろう。
 姉の鈴江の部屋の前を通り過ぎた。中から携帯で誰かと話している声が聞こえてきた。電話の相手はきっと男だろうと春夫は思った。
 八州男の留守の間に鈴江が男を連れ込んでいるのを春夫は知っていた。八州男もそのことに感づいているはずなのだが、もともと気が弱い上に婿養子という立場もあってか、八州男が鈴江にその事で何か責めているところを春夫は見たことがない。いや、それどころか、八州男が鈴江とまっとうに会話しているところを、春夫はここ数年見た覚えがなかった。
 鈴江の部屋の先にある洗面所で手を洗い春夫は仏間に向かった。仏間の扉を開け中に入ると春夫は仏壇の前に座った。静かに手を合わせる。
 仏壇の前には二つの写真が飾られていた。一つは3年前に死んだ父の洋平。そしてもう一つは5年前に18の若さで死んだ妹の茜のものだった。写真の中で茜は満面の笑みを浮かべていた。
 春夫は目を閉じ妹の冥福を祈った。もう一つの春夫の日課だった。彼は茜が死んでから5年間一度もこの日課を欠かしたことがなかった。

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