あの日まではただの可愛い女《ひと》。
――葵のヤツ!
桜は試着室でプルプルと震えていた。
自分の意志で抱かれた夜から、何度かなし崩しに抱かれてしまっているのだが、昨日はひどかった。
会うとかなりの確率で抱かれる。断ろうとしても、なぜか抱かれてしまっている。お互いのパーツが好きでこんなことになるというのはやっぱり不自然だ。そもそも、葵については同情心と生理現象だ。あんな風に触れられたら、このまま、のめりこんでしまいそうになる。そんなことになったら葵にとっても迷惑この上ないことだろう。
だが、距離をあけようとすると、なぜか察知されて、とっ捕まってしまう。
昨日もそんな感じで体をつなげてしまった――。
そして、久々にアキと買い物に来て、試着していて、体中に散った朱の痕がしっかり目に入ってしまい、恥ずかしさに打ち震えるしかなかった。
「桜、試着どう?」
「あー。サイズ変わってないからいい感じ、かな?」
「見して見して!」
「ごめーん。ちょっともう脱いじゃった」
さっさと脱いで服を着た。
首元が結構開いている服だったので、下手に動くと見えるかもしれない。桜はこんな体、アキに見られたら大騒ぎだろう。さすがにネタ的にしゃれになんないから隆《りゅう》にまでは、報告はいかないとは思ったが。いやそれもわからないのが、このふたり組の怖いところだと、思った。
試着室を出て清算をすませ、オープンスタイルのカフェで昼食をとるために入った。
「珍しいね、桜がちょっと色のついた下着とか。白一辺倒だったのにね」
「色っていっても、ピンクとかラベンダーじゃん。」
「でも、今までにないことしてるってなんかあったの?」
「いや。三十路過ぎて白ってのもね…ってちょっと思っただけ」
それでも、ふーん。と意味深な相槌でアキは、シーフードパスタをほおばる。
桜はアボカドとえびのサンドイッチが喉に詰まるような気持ちとともに飲み込んだ。
葵のことを桜は、アキにはいまだ話をしていなかった。
大体、どういう関係かといわれれば、『うっかり桜がお持ち帰り』した、ところから、『お互いのパーツが好きでたまにセックスする人』という答え方しか出来ない。
そう考えると、頭抱えそうになる。あほだっ、自分があほすぎて気が遠くなってしまう。しかも相手は4つも年下である。まったく接点のない二人の出会い方も突っ込みどころ満載だ。
三十路過ぎた女が何をとち狂ってんだとかいわれたら、もう再起不能であろう。でもなんとなく、葵を受け入れてしまって、甘えることをやめられない自分にも気がついている。
自分が望んで抱かれたあの日の翌日。
後悔はしないとは思ってはいたが、葵より早く目覚めなかったことを激しく後悔した。
コーヒーの芳香がした気配に目を開けると、目に入ったのは、すっかりシャワーも済ませて、コーヒーのマグカップをもって、ベッドに腰掛けて桜の寝姿を眺めている葵の姿だった。
ただ、葵はきれいに笑って『おはよ』とだけ言った。ゆったりとした余裕の目線が逆に、完全に自分が彼の捕食範囲に入ってしまったように感じた。同時に黒い長袖のTシャツのおかげで、くっきりと見える広い肩幅の稜線や、長い腕と大きな手に目を奪われた。
対して桜は、昨日の名残を身にまとってシーツにくるまれたままと、完全に交渉術としては不利な立場に追い詰められていたのに気がついた。
――くっ。不覚。
身悶えするような悔しさと落ち込みを感じたときには、すでに遅く、大きな手で頬を撫でられたかと思うと、キスされていた。コーヒー味のキスを――。
カフェインの残り香の覚醒と、うっとりするような濡れた唇の感触に声も出なかった。
「昨日のこと、まさかまた酔ってたし、不本意とか言いませんよね?」
そう言ってにっこりと葵が笑っていった。
がつんと、目の前に突きつけてくる事実に、朝から赤面するしかなかった。
なんて返せばいいかわからなくて、困惑して葵をただただ見つめるしかなかった。
「桜さん、昨夜も言ったけど、俺は桜さんの体のパーツ好きだし、甘えてくれるの結構好きだから」
――だから、好きなだけ甘えればいいと思うんですよ。
葵にまた甘いキスを落とされて、桜は小さく頷くしかなかった。
ああ。一度甘いものの味を覚えちゃうと、やめられないって言うのがなんとなくわかったなーと、桜はサンドイッチを飲み込みながら思い返していた。ちょっとだけ距離を開けようと思っても、つめられてしまうのは自分のせいもあるだろう。結局、桜のどこかで葵に甘えたいって言う気持ちがあるからだ。そう考えて自分の感情一つコントロールできないことに少しだけ、落ち込んだ。
アキはそんな様子を見ながらも、何も突っ込まずに話題を変えた。
「――そういえば、今週だっけ?」
「…ああ。そうね」
アキが何を言おうとしているかは直ぐにわかった。
ついに来週の水曜日から、志岐が異動してくる。
「水曜、ごはんでも食べに行かない?」
「ふ。大丈夫よ。そんな心配しなくても」
『でも…』とアキはさらに言いそうになるが、桜の穏やかな笑顔を前にして何も言えなくなった。いつからか身に着けたんだろうか、やんわりとそれ以上の突込みを拒否する穏やかな笑顔。桜から、この笑顔が出ると心配で仕方がなくなるのだ。
アキはパスタをひたすらくるくると巻いた。
そんなアキの姿に、桜が苦笑する。
「メールでのやり取りは結構頻繁にやってるし、そんな心配するほどのこともないよ?」
志岐さんも、ちゃんとわかってるって…と、桜はそれ以上の詮索をさせないように言った。
桜は試着室でプルプルと震えていた。
自分の意志で抱かれた夜から、何度かなし崩しに抱かれてしまっているのだが、昨日はひどかった。
会うとかなりの確率で抱かれる。断ろうとしても、なぜか抱かれてしまっている。お互いのパーツが好きでこんなことになるというのはやっぱり不自然だ。そもそも、葵については同情心と生理現象だ。あんな風に触れられたら、このまま、のめりこんでしまいそうになる。そんなことになったら葵にとっても迷惑この上ないことだろう。
だが、距離をあけようとすると、なぜか察知されて、とっ捕まってしまう。
昨日もそんな感じで体をつなげてしまった――。
そして、久々にアキと買い物に来て、試着していて、体中に散った朱の痕がしっかり目に入ってしまい、恥ずかしさに打ち震えるしかなかった。
「桜、試着どう?」
「あー。サイズ変わってないからいい感じ、かな?」
「見して見して!」
「ごめーん。ちょっともう脱いじゃった」
さっさと脱いで服を着た。
首元が結構開いている服だったので、下手に動くと見えるかもしれない。桜はこんな体、アキに見られたら大騒ぎだろう。さすがにネタ的にしゃれになんないから隆《りゅう》にまでは、報告はいかないとは思ったが。いやそれもわからないのが、このふたり組の怖いところだと、思った。
試着室を出て清算をすませ、オープンスタイルのカフェで昼食をとるために入った。
「珍しいね、桜がちょっと色のついた下着とか。白一辺倒だったのにね」
「色っていっても、ピンクとかラベンダーじゃん。」
「でも、今までにないことしてるってなんかあったの?」
「いや。三十路過ぎて白ってのもね…ってちょっと思っただけ」
それでも、ふーん。と意味深な相槌でアキは、シーフードパスタをほおばる。
桜はアボカドとえびのサンドイッチが喉に詰まるような気持ちとともに飲み込んだ。
葵のことを桜は、アキにはいまだ話をしていなかった。
大体、どういう関係かといわれれば、『うっかり桜がお持ち帰り』した、ところから、『お互いのパーツが好きでたまにセックスする人』という答え方しか出来ない。
そう考えると、頭抱えそうになる。あほだっ、自分があほすぎて気が遠くなってしまう。しかも相手は4つも年下である。まったく接点のない二人の出会い方も突っ込みどころ満載だ。
三十路過ぎた女が何をとち狂ってんだとかいわれたら、もう再起不能であろう。でもなんとなく、葵を受け入れてしまって、甘えることをやめられない自分にも気がついている。
自分が望んで抱かれたあの日の翌日。
後悔はしないとは思ってはいたが、葵より早く目覚めなかったことを激しく後悔した。
コーヒーの芳香がした気配に目を開けると、目に入ったのは、すっかりシャワーも済ませて、コーヒーのマグカップをもって、ベッドに腰掛けて桜の寝姿を眺めている葵の姿だった。
ただ、葵はきれいに笑って『おはよ』とだけ言った。ゆったりとした余裕の目線が逆に、完全に自分が彼の捕食範囲に入ってしまったように感じた。同時に黒い長袖のTシャツのおかげで、くっきりと見える広い肩幅の稜線や、長い腕と大きな手に目を奪われた。
対して桜は、昨日の名残を身にまとってシーツにくるまれたままと、完全に交渉術としては不利な立場に追い詰められていたのに気がついた。
――くっ。不覚。
身悶えするような悔しさと落ち込みを感じたときには、すでに遅く、大きな手で頬を撫でられたかと思うと、キスされていた。コーヒー味のキスを――。
カフェインの残り香の覚醒と、うっとりするような濡れた唇の感触に声も出なかった。
「昨日のこと、まさかまた酔ってたし、不本意とか言いませんよね?」
そう言ってにっこりと葵が笑っていった。
がつんと、目の前に突きつけてくる事実に、朝から赤面するしかなかった。
なんて返せばいいかわからなくて、困惑して葵をただただ見つめるしかなかった。
「桜さん、昨夜も言ったけど、俺は桜さんの体のパーツ好きだし、甘えてくれるの結構好きだから」
――だから、好きなだけ甘えればいいと思うんですよ。
葵にまた甘いキスを落とされて、桜は小さく頷くしかなかった。
ああ。一度甘いものの味を覚えちゃうと、やめられないって言うのがなんとなくわかったなーと、桜はサンドイッチを飲み込みながら思い返していた。ちょっとだけ距離を開けようと思っても、つめられてしまうのは自分のせいもあるだろう。結局、桜のどこかで葵に甘えたいって言う気持ちがあるからだ。そう考えて自分の感情一つコントロールできないことに少しだけ、落ち込んだ。
アキはそんな様子を見ながらも、何も突っ込まずに話題を変えた。
「――そういえば、今週だっけ?」
「…ああ。そうね」
アキが何を言おうとしているかは直ぐにわかった。
ついに来週の水曜日から、志岐が異動してくる。
「水曜、ごはんでも食べに行かない?」
「ふ。大丈夫よ。そんな心配しなくても」
『でも…』とアキはさらに言いそうになるが、桜の穏やかな笑顔を前にして何も言えなくなった。いつからか身に着けたんだろうか、やんわりとそれ以上の突込みを拒否する穏やかな笑顔。桜から、この笑顔が出ると心配で仕方がなくなるのだ。
アキはパスタをひたすらくるくると巻いた。
そんなアキの姿に、桜が苦笑する。
「メールでのやり取りは結構頻繁にやってるし、そんな心配するほどのこともないよ?」
志岐さんも、ちゃんとわかってるって…と、桜はそれ以上の詮索をさせないように言った。