あの日まではただの可愛い女《ひと》。
「まぁ、そんなこんなでさ。オンラインゲーム《DDO》のサービスも先細りしてたし、桜さん、会社から仕事制限されてた期間も終わるってんで…」
「――!? 制限っ!?」
「あっ!」

 制限って何だ?と七海に詰め寄って、何とか聞き出したことに葵は頭を抱えた。
 どうやら、桜は長期の休暇後、会社から鬱病の疑いを持たれて、結果として一年間の業務内容の制限という名の残業禁止と定期的な心療内科への通院を命じられていたらしい。制限された理由は、七海には、ちょっと忙しくって、勤務時間がかなりひどいことになったのと、健康面的に問題になった、と言ってた。

 ――あの仕事人間の桜さんが、仕事を制限されるって、本気で罰ゲームだった。

 ふと、あの夜に『大分強引な手を使ったツケは私にも隆さんにも回ってきた』と言ってたのは、このことであったか、と思い至る。

「上司の人もパワハラの疑いかけられて大変だったらしくってさ。でも頑として桜さん、異動も、薬も断固拒否で、一年間耐えたらしいよ」
「そこまでっ?」
「薬拒否はたぶん本人の気持ちの問題なんだと思うけど、飲んじゃうとパワハラで鬱病って判断を認めちゃうことになるって言ってさ」
「……」
「相当仕事が好きなんだよね。絶対このチーム離れたくないって、周りの人間に頭下げ続けて、家でも仕事の手順と振り分け作って段取り仕事やってたっぽいし」
「……」
「話を引退に戻すけどさ。なんか、その頃聞いてて覚えてる言葉があってね」

 葵とか男子にはぴんと来ないと思うけどさ、と七海は断って続けた。

「彼女のことを話してて、桜さん、女って自分含めて怖いなって。それで、リアルでもなんか恋愛問題もめたことあるのかなぁってちょっと思ったんだよね」

 『彼女』っていうのは、いじめた当人のことだろう、と葵は思った。

「ぴんとこないな。どういう意味だろう?」
「うーーーーん。やっぱりね! イヤなんとなく私はわかる気がするんだけどっ」
「引退の事情を知ってるからか?」
「そうじゃなくて、なんとなくの雰囲気なんだよ。何かあったっていう気配みたいなっ」

 そういって何があったか聞こうとしても七海は口を割らなかった。ただ、いじめてきたという相手は、あの頃自分たちのギルドの周辺にいた女性プレイヤーってことか? だったらほか誰かに聞けばわかるんじゃね?などなど、すでに葵の頭の中は、当時いたプレイヤーたちの検索を始めている。

「や。葵クン。ちょまて」
「は?」
「どうせ、今頭の中で、どのプレイヤーかとか検索してんでしょ? そうじゃなくてさ、ちょっと待ちなさいよ」
「なんで?」

 葵にしては珍しく、相手が言おうとしていることが読めなくて困惑した。
 七海はうーんとうなりながら、どう伝えれば葵にわかるか考え込んでいる風情だ。

「うまくいえないけど、『自分含めて』がポイントなんだよね」
「ふむ」
「相手の子が何したとか、何言われたって言うのは私も、知ってることもあるし、噂話の断片をつなぎ合わせてってことで浮かび上がるんだろうと思う。でもちょっと違うんだよね」
「違う?」

 七海はなおも言葉を探しながら言った。

「彼女が桜さんに言ったことや、やったことって私は許せないなって思ったんだけど、なんとなく、桜さんは普通だったらそれについてはうまく流す人だなーって思うんだよね。ただ、『自分含めて』って言い方がすごい自嘲っていうの?」

 そんな印象なんだよね~と、七海はつぶやいた。
 言葉的には『自分含めて』ってのはどこにかかるんだろう? やっぱ5年前のことがそこにあるような気がしてならないが…。 うーん、と葵も思わずうなる。

「具体的にはいえないんだけど、たぶん女を使うとか、女を盾に取るとかそういうカンジの会話だったと思う」
「女を使う?」
「そーなんだよね。桜さんっぽくないなってそのときに思ったんだよね~。しかし葵クンしつこく聞いてくるね!」
「だって気になるし」
「ってか、そもそもなんで気になるってのが、マジ聞き出してやりたいんだけど」

 葵はキッと七海ににらまれて若干たじろいでしまった。
 なぜみんな、そんなに桜さん好きなのよ?
 素直にそう思って七海に聞いてみたら、にっこり笑って『ああいう人だから』とだけ答えて、今度はバーボンソーダを頼んだ。
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