あの日まではただの可愛い女《ひと》。
――もっと自分の気持ちとか、悩んでることとか、話をしてもいいのかな?

 ふと、葵に甘えだしてから、人を頼るということが、自分がだめな人間ということではない、という気がした。オンラインゲーム(DDO)の騒ぎのときは七海に引っ張られるように、いろんな人が助けてくれたが、あの時は桜から積極的に頼ったわけでもなく、頼ることでまた新たなトラブルがやってきたらどうしようと半ば脅えてもいた。

 ふと、大事なことを思い出して携帯に手を伸ばした。

 ――やばい。七海ちゃんに着信拒否されたままだ!

 昨日の夜、大混乱でろくに顔を見れずに逃げ出し、かかってきた電話を七海に結果として押し付けてしまった。
 『でも、着拒解除ってどうやるのっ!?』と、根本的なことがわからず若干パニックになる。着拒した相手に自分から連絡を取ることができるのか? しかも相手は現在海外(どこの国に行ってるのかも知らない)状況である。果たして国内ならかかるところ、今の状況で電話して通じるのか? それさえも正直わからない。マニュアルを探したりしようとしている間にも、質問や問い合わせがきたり、ミーティングの時間が始まったりでバタバタしてしまい、思ったように探し出せない。

 ――葵の出張はいつまでだろう?
 早く会いたい、何を話せばいいか本当に整理がつかないけれども、葵に会って逃げ出してごめん、とだけは言いたい。その後自分がどうするかは正直わからなかった。



 結局、木金と激務となってしまい、アキとは土曜日なら飲めるということで、ふらふらと金曜の夜中に自分のマンションに戻った。
 葵の着信拒否を解除する方法を探さなきゃ、と思ったが、時間がたってくると、あの夜に志岐と二人でいたことについて、言い訳めいたことを言ってもいいのかどうか、そもそもそういう精神的に親密な関係といえるんだっけ?とか、考え出してしまって実はまだ拒否を解いていなかった。

 処理が伸びれば伸びるほど気まずいのは確かだが、自分でもどうしていいのかまったくわからない。竹を割ったような性格と評されているはずだが、ここのところ処理できない問題が多すぎる。重い足取りでマンションに入って、ポストを開ける。
 そういえば水曜日から開けてなかった、結構郵便物溜まってるなと思って仕分けをした。

「あっ――」

 コンビニで急いで買ってきて書いたのであろう、味も素っ気もない白い封筒に手書きで『桜さんへ』という文字を発見して、胸がずきんとした。

 はさみを使って丁寧に開けると、几帳面なような、でも一文字一文字が結構大きな文字で書かれた手紙が出てきた。
 読むと、七海とは普通に食事をしていただけなこと(わかってると思うけど、という注意文つきだ)、それでも桜に一言言っとくべきだったという謝罪、今回の出張は短いので週半ばには戻れることが書かれていた。

 ――だから、それまでに着拒は撤回しておいてほしいんだけど。桜さんにちゃんと会いたいよ。

 そう、締めくくられていた。
 七海と飲んでたことを気遣って言ってくれたりと相変わらず、葵は、自分にできる限り優しくしてくれていると思った。別に桜と付き合っているわけではないのに、とも思う。対して志岐のことについてはまったく書かれていない。きっと桜が言いたくなれば聞いてくれるだろうが、言わないなら、それはそれでいい、ということなんだろう。
 一方的に甘えさせてもらっている立場だから、それはしょうがないんだろう。葵の気持ちがこっちにないことなんて、わかっていることだ。
 桜は、葵が悪いわけじゃない。何も聞いてくれないことが自分に興味がないということを思い知らされて、自分が寂しいって言う気持ちがコントロールできなくって、自分勝手なだけだ…そう自分に言い聞かせながら少しだけ泣いた。
 泣いている自分にも、自分の身勝手さに自己嫌悪に陥りそうだった。

 志岐のこと、葵にこれ以上甘え続けること…そういうことにちゃんと答えをださなければいけない…、桜はそう思った。



「なるほどねー。搦め手の告白ときたもんだ」

 土曜のまだ夜とは言い切れない時間に、ざわざわした居酒屋に毛の生えたといってもいいようなカジュアルバーの仕切りのある場所でアキと落ち合った。乾杯して少ししてから事情を桜は切り出した。
 そのあと、志岐さん、結構アホだな、そうアキは、ばさりと言い切った。

「なぜに男子は搦め手が好きなのかなぁ~。そんなことやっても気持ちは落ちてこないのに。…で、桜はどうしたいの?」

 そう、やはり同じ調子でばっさり聞いてくる。

「どう考えてもお受けできないんだけどさ、彼の真意とか意図がわからないし、説得材料がないんだよね」
「あんたも、アホの仲間なのか」
「え?」
「付き合いたくないもんは付き合いたくない。以上終了でしょ」

 え、でも同じ部署だし、志岐さんしつこいしと、言い募ろうとするのを、アキはグラスに残ったミントジュレップを一気飲みして、押さえ込む。

「ちょ、アキ」
「何で仕事以外はぬるいかなぁー。カマトトしてる場合じゃないでしょ」
「カ…!」
「もーあんたは、本当に男なめすぎだよ」
「なめてなんか…」
「いやなめてるね! その友達が通りかからなかったら、あんた志岐さんに食われてる可能性大だと思うよ?」

 ええええええーー?
 目が点というよりも落ちるかと思うくらい桜は驚いた。
 いやあんな和やかな感じで話してたのに。まぁ多少剣呑に手とかつかまれてはいたが。

「あの人の仕事見てればわかるじゃん。かっちりきっちり出口ふさいでくるよ。勝負をそんな早く仕掛けてくるってことは、ぶっちゃけやる気満々だと思うよー」

 まずは体縛って説得する作戦だと思う。妙に自分に自信持ってる男って、こういうことしてくるところがめんどくさいんだよね。だから、さっさと話しつけな? そうアキは桜に言った。

「いやでも。彼の意図がわからないのに?」
「何でそこ気にするの?」
「隆《りゅう》さんに迷惑かかっちゃうかもだし…」

 ゴンと、そのとき、アキに頭の天辺をどつかれた。思わず目の前に星が散るほど痛い。

「ちょ、グーで何するっ」
「今のは隆さんからだよ。『たまには迷惑かけろよ、馬鹿部下』だってさ」
「え? …まさか言ったの!?」
「言うに決まってるでしょ! 彼もある意味関係者なんだし」
「やっ、でも…」
「あんたのその空回りの心配ははっきり言ってやめなよ。正直、あんたが体差し出して、犠牲にしてまでがんばられたら、こっちがつらいってわかんないのかなぁ。5年前の件も本当は相談してほしいんだよ? 私!」

 アキがきれいな顔をゆがめてほろりと涙を流した。
 ごめん、桜はそれしか言えなくなる。

「もー。あんたがあんなにいきなり痩せるわ、しゃべんなくなるわとか、目が死んでるわとかっ、もう私は二度とごめんだからね! 私だけじゃなく隆さんだってきついよ。仕事なんだからそんな犠牲払わないでよ」
「えと…」
「あんたたちが言う『life is style』ってさ、作り手側にもはまると思わない?」
「え?」
「カエデの社員が『life is style』を体現できてないのに、エンドユーザーに伝わるわけないじゃん。我慢大会じゃないんだから、ちゃんと自分大事にしてよ」
「ア、アキ…」
「隆さんだって。当時、あんたが志岐さんのこと好きになったとか思えなかったって言ってるし。そんな我慢してもらうために桜をそばに置いてるんじゃないって言い切ってたよ」

 今、ここに顔を出してきていない上司の顔を思い浮かべた。確かに通常ならアキとともに『お説教』に来ているところだ。
 アキに伝言を預けた意味や彼の気持ちを汲み取ろうとする。
 その上でのアキの伝言であれば…。その意味を悟って胸が熱くなる。
 志岐も桜も、今は彼にとっては部下だ。だから現段階は介入する気はない、ただ桜が頼ってきたら話は違う。
 きっとまた自分が積み上げたものを、せっせと瓦礫にする勢いで助けてくれる気満々なんだろう。

 ――隆さんのバカバカ。そんなこと絶対させませんからね。
 それに、志岐さんもあなたの部下なんだから…。

 ほろほろと泣いてるアキにしがみついて桜も少し泣いた。
 しばらくして二人笑いあって、言い過ぎたごめん、とアキが言ってから飲み物を追加した。
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