あの日まではただの可愛い女《ひと》。
一緒に歩いていける人
 『で、結局のところ何があったの?』そうたずねたアキに、桜は首を振って、もう少し整理させてくれと言った。志岐については答えは出ているのだが、説得の糸口を猛烈に組み立てていた。
 それに葵が聞きたくないといったら話さないが、志岐と一緒にいた理由はちゃんと話したいと伝えたいと思ったからだ。
 アキの前にどうやっても話たい人がいる。そう伝えたら、アキはちょっと、少し吹っ切れた様子の桜を見て、わかった、とだけ言ってくれた。
 話せるようになったらちゃんと話するのよ! そしてその男のことも聞き出すからね!そういわれてからアキと別れた。 

 ああ。また葵のことを話したら、アキからは盛大なお説教が展開されるんだろうな、桜はそう思ってげっそりしたが、でも心の奥底ではほっこりしていた。

 まだ、葵に志岐との間のことや自分の思っていることを話していいか、少しは迷いがある。
 その迷いは、たぶん話して離れていかれることが怖いからだ――。
 ただ、ずっと彼に甘え続けるわけにもいかないし、嫌われて離れられることに脅え続けるのもいやだということに気がついた。たとえ、呆れられて、切なくてつらい思いを味わったとしても、脅え続けるよりはましだと桜は思った。

 そして…、自分が思っていることや5年前のことについて話したいとは思っているが、葵に相談してからすべてを決めるというのはちょっと違うとも思った。
 結局は自分が引き起こして逃げを打ったツケがきているだけだ。そして自分なりの答えの糸口も見えており、処理をするのも自分でしかない。
 志岐に対しての答え、葵に対して話したいこと、それらはすべて別のことだ。だからまずは志岐の件に集中してそれを片付けよう。

 ――でないと、こんな風に可愛げなくやってきた意味がない。

 ただし、葵に会いたい、それだけは今強烈に桜の中で迷いなく存在する感情(きもち)だった。桜は酔った勢いもあってか、葵のマンションに向かった。当然ながら部屋に明かりはついていない。しばらく、葵の部屋のある辺りを眺めてから、桜はポストに手紙を落として立ち去った。



 志岐という男とは結局、交渉をするということでしか対話が出来ない、と桜は思っている。あの告白は感情がどうこうというよりも、志岐にとって、なんらかのメリットがあるから桜に告白したという感じであろうと、志岐のあまり何も感情の宿っていなかった瞳の色を思い出しながら、そう考えた。
 メリットとデメリットは何かを必ずや彼は天秤にかける。彼の目的とメリットは何だろう? 日曜日に図式をひたすら家で考えて、自分なりの答えを思いついた。
 準備や根回しを整えて、数日後、会議室に志岐を呼び出した。
 プライベートな領域ではあるが、志岐の思惑が仕事に深く絡みついているわけだから、多少は目をつぶってもらおうと、桜は思い切った。

「会議室に呼び出しとは…」

 志岐が少し苦笑しながら、入ってきた。

「先日の志岐さんからのお申し出の答えをさせていただこうと思って」
「僕としては、こんな味気ない場所でって思うけどね」
「私達にはピッタリな場所かと思いますよ?」

 志岐はぶれない桜の目線を見て、苦笑した。すでに桜の答えはわかっているのであろう。

「理由を聞いてもいいかな?」

 志岐は冷静に桜に返してきた。

「やはり理由は必要でしょうか?」
「普通はあるんじゃないかな?」
「付き合いたいって気持ちが沸かないから」
「でも、桜は誰も付き合っている人いないよね? 僕を選択肢に入れてみてお試しで付き合うというのはないのか?」
「好きでもないのに、誰かと付き合うっていう選択肢は私にはないんですよ」

 案の定の搦め手で理詰めを求める志岐に桜は笑った。
 付き合っている男がいなきゃ、スペックさえそこそこなら付き合うという発想自体が普通というなら、自分は別に普通じゃなくてもいい。
 告白に対する返事に納得させるまでの理由が必要と主張する…その姿勢が桜の心を醒めさせるということもわからない。悪い人ではないし、本人も自分の気持ちをもてあましているのであろう。

「…酒の趣味が合いそうにないっていうのでどうでしょう?」
「は?」
「お試しをしない理由として、オーセンティックバーでもハイボール頼んじゃうような男とはたぶん長続きしないからっていうのは?」

 そう桜はいたずらっぽく笑う。
 志岐が驚いて目を大きく瞠っていた。彼を驚かせたことに満足して桜は自分も成長したと思う。
 5年前は正面からしか、この男を撃破しにいけなかったが、今は撃破する必要もないことを知っている。むしろ、うまくよけてお互いが傷つかないほうが、大事だということがわかっている。

「そういうことにしませんか? 志岐さん」
「桜――。じゃー藤間君は酒の趣味が合うというのか?」

 ああ、葵のことを勘繰ってはいたのか。まぁたしかにバレバレだったかもしれない。あそこで会った時点で、桜の頭の中は葵のことでいっぱいになったのは確かだった。ここは何か言い訳しても無駄だし、かく乱されても困ると思った。

「いえ、葵のことは――、志岐さんとお付き合いするしないの判断とは関係ありません。彼がいてもいなくても、志岐さんを男としてみることができないのは変わりません」

 ふっと志岐が笑う。

「男として見れない――か」
「申し訳ありません。でもそうとしか」
「そんなこと言ってきた女、初めてだよ」

 デスヨネ。スペックには自信ありますよね。あなたは。
 そう桜は胸の内だけで一人ごちた。
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