あの日まではただの可愛い女《ひと》。
ずっと自由に、自分らしく生きたかった。
それを、桜に気づかせたのは、実はアオイだ。
子供の頃から、なんとなく感じていた違和感や、窮屈さに『形』を与えたのは、アオイと二人きりで話したときの、彼の言葉だった。
自分らしく生きるって、どうやれば楽に出来るんだろう。
仕事をしていると、色んなことを曲げなければいけない。5年前に志岐には再三再四、普通とは、世間一般とは…ということを言われ続け、挙句の果てに隆《りゅう》に迷惑をかけたときに、自分はそういう『普通に当たり前なこと』が出来ない人間だと思い知らされた。
子供の頃から、恋愛が苦手だった。――というか、男だから女だからということ自体がわからなかった。
だから、男との付き合いをちゃんとできず、志岐に抱かれる羽目に陥るまで自分が女だということを考えないようにしていた。
反面とてもコンプレックスを感じていた。
アオイの一言で、実は救われて、そのあとは自分は自分でいいんだと、この4年間ずっと楽に生きてきた。恋愛もがんばらなくてよい、仕事が好きだから仕事をさせてもらえれば幸せだった。
それなのに、恋に堕ちてしまった――。
――ずっと知らないで済めばよかったのに。
そう、桜は思う。
でも、知ってしまった後には、この感情が自分の中に居座って、苦しくて、愛おしくて、この痛みをずっと感じていたいとも思ってしまう。
『自由に生きればいいと思う』
そう言ってくれた男は自分が言ったことなど、とうに忘れ去っているというのに。
忘れ去っているのか、それとも葵とアオイは違うのか…。桜に自由に生きればいいと言ってくれたアオイという男は消えてなくなっているのかもしれない。
そういうことを考えていると、へにゃっと、涙がこぼれそうになる。
「――桜さんっ!」
ぐいっと腕を引っ張られて、見上げると葵がいた。
走ってきたのか、白い息がすごい勢いで口から上げられる。
「こんな冷え切って! もうっ一体何時からここにいたんですか!?」
「んーーー。6時過ぎ、かな?」
「俺からメールの返事、なんで見てないのっ。電話にも出ないし! 何でこんな公園のベンチなんて寒空でまってるの!」
はぁはぁと、息が上がっているのに葵が少し怒ったように早口で言う。
「や。なんか頭冷えていいかなぁって」
えへっと笑ってみるが、葵は怒ったままだ。会社を出たあと、メールを送ってから返事なんか怖くて見れず、携帯自体サイレントモードにしてバッグの奥底にしまって、じっとここで待つことを選んだ。
「この前インフルかかったばっかりなんだからっ。しかも暗くなっての公園なんて危険でしょ! もう、いきますよ」
そう言って桜の手を握って引っ張りあげようとする。
「や…っ」
「桜さん…!」
手を自分に抱えこむように葵の手を拒否して、桜はベンチに座り込んだ。
「人がいるところや、葵の部屋に行きたくないの。ここで話したい…」
「どうして――」
「どうしても…。おねがい」
だって、拒絶されたら人前や葵の部屋とかだったらつらすぎる。
そう桜は心の中で思う。だから人気のなくなる時間のこの公園を待ち合わせに指定したのだ。しばらくうつむいた桜の頭を葵は見ていたが、『ちょっと待ってて』といって、その場にかばんを置いて、どこかへ向かう。
戻ってきたときに缶のカフェオレを3本持っていた。
「はい。これ一本は飲んで。もう一本はカイロ代りに使って」
そう言って桜に渡して、自分がつけていた手袋を桜にはめなおしてから、隣に座って残りの一本を開ける。
「……。一体なにがあったんです?」
しばらくコーヒーを飲んだ後に葵が聞く。
「えと…。葵に甘えるの、もうやめる」
葵の片方の眉がピクリと上がった。ただし表情は無表情なので、桜には葵が何を考えているかはまったくわからない。
「どうして?」
少し、掠れた声が桜の耳に届いた。
「もうこれ以上迷惑掛けられないし……。掛けたくない」
何度も今まで葵に告げてきた言葉を桜は言う。今まで何度言っても、葵に最終的には説得され、抱きつぶされてしまった言い訳だ。
「桜さん、迷惑なんて…」
首を小さく桜は横に振る。
「これから絶対迷惑を、もっと掛けちゃう。今日だって来てくれるまで待つなんてメール迷惑だったでしょ? だから――」
葵がそれで少しだけ怪訝な光をともして、桜を見た。桜はその光を一瞬だけ受けて顔を伏せる。
「心配はしたけど、迷惑って思ってませんよ。――もっと迷惑って何なんです?」
桜は思わずこくりとのどを鳴らして息を吸い込んだ。
「わた、し。――葵のこと好きになっちゃったの」
「――えっ?」
驚いた声と戸惑う視線に、葵の方を見れなくて桜は下を向いてしまう。
「だ、だから、こういうことはもうやめよう?」
色々考えた。二度と会えなくなるのは絶対いやだ。ただ、甘えるのをやめると言えば、また説得されるから、葵が最も嫌がるであろう本音を伝えることにした。
――もちろん、心の奥底にこれでもう二度と会えないかも知れないんだったら、気持ちを言ってしまえという半ばやけくそのような気持ちもあった。ぶっちゃけ、自分の行動がどういう結果になるかなんてこの時点では予測がつかない。……ただ、きっと葵は困惑するだろうということしか予想が立たなかった。
そして、葵の都合も考えずに、ここでいつまでも待ってるから来て欲しい、なんていうメールを打ってその後、葵のメールも電話も無視した。少しだけめんどくさがられて、愛想をつかされて、でも集まりでは顔を合わせれる程度に持っていきたいと思っていた。
桜はそれさえも自分のご都合主義に恥ずかしくなって、顔が上げられなかった。
自分はなんて醜いんだろう…そう思ってますます顔を下げる。
「――桜さん。俺のこと…好きなの?」
少し喉に絡んだような掠れ声が、つらい。あまりの意外性に戸惑っているんだろうと、桜は思ってより一層身を小さくした。
「うん」
「あの、それって…」
「いや、わかってるから! パーツが好きって言うだけで、慰めてもらってるだけなのもよくわかってるから。だから、もう甘えるの…、やめるっ。これ以上迷惑かけないから! だから、せめて今までどおりの友達でいて欲しいの」
「あの、桜さん。話……」
「大丈夫。私は大丈夫だし、あの…ほんと、ごめんなさいっ」
てんぱって、大丈夫と迷惑をかけない、ごめんなさいをひたすら繰り返す桜の手を葵が掴んだ。
「…ひっ」
「ちょっと黙ってくださいよ。俺の話聞いてよ、桜さん」
まじまじと黒目がちの目を合わされて桜は思わず黙る。
「ね。俺のこと男として好きなの」
「あ、あのだから…」
「イエスかノーで答えて」
若干強めの口調で言われて桜は思わず黙ってコクコクと頷く。
それを、桜に気づかせたのは、実はアオイだ。
子供の頃から、なんとなく感じていた違和感や、窮屈さに『形』を与えたのは、アオイと二人きりで話したときの、彼の言葉だった。
自分らしく生きるって、どうやれば楽に出来るんだろう。
仕事をしていると、色んなことを曲げなければいけない。5年前に志岐には再三再四、普通とは、世間一般とは…ということを言われ続け、挙句の果てに隆《りゅう》に迷惑をかけたときに、自分はそういう『普通に当たり前なこと』が出来ない人間だと思い知らされた。
子供の頃から、恋愛が苦手だった。――というか、男だから女だからということ自体がわからなかった。
だから、男との付き合いをちゃんとできず、志岐に抱かれる羽目に陥るまで自分が女だということを考えないようにしていた。
反面とてもコンプレックスを感じていた。
アオイの一言で、実は救われて、そのあとは自分は自分でいいんだと、この4年間ずっと楽に生きてきた。恋愛もがんばらなくてよい、仕事が好きだから仕事をさせてもらえれば幸せだった。
それなのに、恋に堕ちてしまった――。
――ずっと知らないで済めばよかったのに。
そう、桜は思う。
でも、知ってしまった後には、この感情が自分の中に居座って、苦しくて、愛おしくて、この痛みをずっと感じていたいとも思ってしまう。
『自由に生きればいいと思う』
そう言ってくれた男は自分が言ったことなど、とうに忘れ去っているというのに。
忘れ去っているのか、それとも葵とアオイは違うのか…。桜に自由に生きればいいと言ってくれたアオイという男は消えてなくなっているのかもしれない。
そういうことを考えていると、へにゃっと、涙がこぼれそうになる。
「――桜さんっ!」
ぐいっと腕を引っ張られて、見上げると葵がいた。
走ってきたのか、白い息がすごい勢いで口から上げられる。
「こんな冷え切って! もうっ一体何時からここにいたんですか!?」
「んーーー。6時過ぎ、かな?」
「俺からメールの返事、なんで見てないのっ。電話にも出ないし! 何でこんな公園のベンチなんて寒空でまってるの!」
はぁはぁと、息が上がっているのに葵が少し怒ったように早口で言う。
「や。なんか頭冷えていいかなぁって」
えへっと笑ってみるが、葵は怒ったままだ。会社を出たあと、メールを送ってから返事なんか怖くて見れず、携帯自体サイレントモードにしてバッグの奥底にしまって、じっとここで待つことを選んだ。
「この前インフルかかったばっかりなんだからっ。しかも暗くなっての公園なんて危険でしょ! もう、いきますよ」
そう言って桜の手を握って引っ張りあげようとする。
「や…っ」
「桜さん…!」
手を自分に抱えこむように葵の手を拒否して、桜はベンチに座り込んだ。
「人がいるところや、葵の部屋に行きたくないの。ここで話したい…」
「どうして――」
「どうしても…。おねがい」
だって、拒絶されたら人前や葵の部屋とかだったらつらすぎる。
そう桜は心の中で思う。だから人気のなくなる時間のこの公園を待ち合わせに指定したのだ。しばらくうつむいた桜の頭を葵は見ていたが、『ちょっと待ってて』といって、その場にかばんを置いて、どこかへ向かう。
戻ってきたときに缶のカフェオレを3本持っていた。
「はい。これ一本は飲んで。もう一本はカイロ代りに使って」
そう言って桜に渡して、自分がつけていた手袋を桜にはめなおしてから、隣に座って残りの一本を開ける。
「……。一体なにがあったんです?」
しばらくコーヒーを飲んだ後に葵が聞く。
「えと…。葵に甘えるの、もうやめる」
葵の片方の眉がピクリと上がった。ただし表情は無表情なので、桜には葵が何を考えているかはまったくわからない。
「どうして?」
少し、掠れた声が桜の耳に届いた。
「もうこれ以上迷惑掛けられないし……。掛けたくない」
何度も今まで葵に告げてきた言葉を桜は言う。今まで何度言っても、葵に最終的には説得され、抱きつぶされてしまった言い訳だ。
「桜さん、迷惑なんて…」
首を小さく桜は横に振る。
「これから絶対迷惑を、もっと掛けちゃう。今日だって来てくれるまで待つなんてメール迷惑だったでしょ? だから――」
葵がそれで少しだけ怪訝な光をともして、桜を見た。桜はその光を一瞬だけ受けて顔を伏せる。
「心配はしたけど、迷惑って思ってませんよ。――もっと迷惑って何なんです?」
桜は思わずこくりとのどを鳴らして息を吸い込んだ。
「わた、し。――葵のこと好きになっちゃったの」
「――えっ?」
驚いた声と戸惑う視線に、葵の方を見れなくて桜は下を向いてしまう。
「だ、だから、こういうことはもうやめよう?」
色々考えた。二度と会えなくなるのは絶対いやだ。ただ、甘えるのをやめると言えば、また説得されるから、葵が最も嫌がるであろう本音を伝えることにした。
――もちろん、心の奥底にこれでもう二度と会えないかも知れないんだったら、気持ちを言ってしまえという半ばやけくそのような気持ちもあった。ぶっちゃけ、自分の行動がどういう結果になるかなんてこの時点では予測がつかない。……ただ、きっと葵は困惑するだろうということしか予想が立たなかった。
そして、葵の都合も考えずに、ここでいつまでも待ってるから来て欲しい、なんていうメールを打ってその後、葵のメールも電話も無視した。少しだけめんどくさがられて、愛想をつかされて、でも集まりでは顔を合わせれる程度に持っていきたいと思っていた。
桜はそれさえも自分のご都合主義に恥ずかしくなって、顔が上げられなかった。
自分はなんて醜いんだろう…そう思ってますます顔を下げる。
「――桜さん。俺のこと…好きなの?」
少し喉に絡んだような掠れ声が、つらい。あまりの意外性に戸惑っているんだろうと、桜は思ってより一層身を小さくした。
「うん」
「あの、それって…」
「いや、わかってるから! パーツが好きって言うだけで、慰めてもらってるだけなのもよくわかってるから。だから、もう甘えるの…、やめるっ。これ以上迷惑かけないから! だから、せめて今までどおりの友達でいて欲しいの」
「あの、桜さん。話……」
「大丈夫。私は大丈夫だし、あの…ほんと、ごめんなさいっ」
てんぱって、大丈夫と迷惑をかけない、ごめんなさいをひたすら繰り返す桜の手を葵が掴んだ。
「…ひっ」
「ちょっと黙ってくださいよ。俺の話聞いてよ、桜さん」
まじまじと黒目がちの目を合わされて桜は思わず黙る。
「ね。俺のこと男として好きなの」
「あ、あのだから…」
「イエスかノーで答えて」
若干強めの口調で言われて桜は思わず黙ってコクコクと頷く。