あの日まではただの可愛い女《ひと》。
「何で迷惑だっていうんです?」
「や。だって、私のパーツが好きなだけでしょ。葵にとっては、彼女が今いない間の遊びみたいなもんでしょ? 葵より年上だし、酔っ払って電話したり、すぐ迷惑かけちゃうし、そんな女に付きまとわれても迷惑なだけじゃん」
はーっと息をついて葵が、走ってきたので乱れてる前髪をかきあげた。少し怒っている口調で言葉を継ぐ。
「遊びとかいいますか…。それにそんなことが桜さんが言う迷惑なの?」
「今日だって…。もう一度だけしか会えないんだったら――って思って、こんなところでずっと待ってるってメールしちゃったし…」
「ん?一度だけって、なに?」
「インフルのときのメモ書きに『一度だけでいいから』って書いてたでしょ? だから、最後かもしれないって思って」
「『一度だけでいいから』ってこっちが、会ってよってお願いしてる話なんだけど…。もう、ほんとおっちょこちょいというか、自己評価低いなぁ」
少しだけ上を向いてため息を吐くようにいう葵を見て、桜は『う…』とうめいた。
「だ、だって。私ここ一ヶ月葵に会わないようにしてたし、お正月…熱に浮かされて迷惑かけちゃったし。もう呆れられちゃったのかもって思って」
「自覚はあったんだ?」
こくんと、小さく頷いて桜が続ける。何でそんな誤解をしてしまったんだろうと、頬が熱くなる。
「そ、それに、たとえば付き合ったとして、彼女っぽいこと出来ないだろうし…」
「彼女っぽいことって?」
葵が少し、目を緩めて桜を見つめて言う。
「毎日何回もメール書いたり、ちゃんと葵優先でスケジュール組んだり、可愛いお酒しか飲まなかったり…」
「ぷっ。桜さんの言う彼女っぽいことって…! 可愛いお酒飲むことなの?」
吹き出されて、空いている片手をわき腹に添えて笑う男を呆然と桜は見やる。
「なっ、何で笑うのよ」
「いや面白すぎて…」
「わ、私まじめに言ってるのにっ」
葵はごめんごめんといいながら、桜のまだ冷たい手をぎゅっと握りなおす。
「迷惑ってそれだけ?」
「や。だって…私たぶん、自分らしく振舞えなくって、変だし」
「俺のことが好きで?」
う。そんなこと面と向かって言われると恥ずかしいよとか、思ったが桜は素直に、コクコクコクと頷く。もう自分が一体なにをしたいか、顔が熱すぎてまともに考えられない。そんな様子を柔らかく見つめて、葵は桜の手をより一層握り締めた。
「桜さん、俺も桜さんのこと好きだよ」
「え?」
「ずっと、ずっと好きだったよ」
声にならない声で桜が『うそ』と形取った。
「何で嘘なんですか」
「え。だって、ずっと…パーツが好きとか、甘えていいよって…」
「ああいう風に言わなかったら、桜さん全力で逃げたでしょ?」
そういわれればそうかもな、と桜は思う。なんと言っても最初は葵のメールからさえ逃げ回っていた。志岐のことも、オンラインゲームでの恋愛騒動のことも、葵と会いだしてから桜の中で決着らしきものがついていったが、正直、最初から好きだといわれてたら怖くて逃げ出していたはずだ。
葵が桜を抱き寄せようと、手を伸ばす。
「あ。ま、待って!」
「え?」
「でもだめだと思う! 絶対迷惑だよぅ」
「どうして?」
「だってだってっ。私は私でいることやめられないんだよ? 絶対いやだよ? 普通の女子なら好きな人を優先するんだろうけど、仕事ばっかしてて、葵を一番にしたりとかできないことが多いだろうし。きっとこれからも迷惑かけちゃうんだもん」
自分らしく生きていきたい。その言葉と気持ちが桜にとっては失いたくない一線だった。だって、4年前にアオイに言われた言葉がいまだに桜の中に深く根付いている。自分だけが感じた、当の男は何気なく言った言葉だったとしても、あの大事な瞬間を手放したくない。
「迷惑かければいいですよ」
「――え?」
葵がまじめな光を瞳の奥に光らせて桜に言う。
「俺が好きになった桜さんのままがいいんだよ。付き合ったからって、こうじゃなくちゃいけないなんてないですよ。仕事が好きで、かわいくない酒が大好きで、ファッションセンスがダサくて、人にコーディネイトしてもらって。臆病なところがあるくせに、絶対問題から手を引かなくて、不器用で迷惑な桜さんでいいんだよ」
「ど、どして?」
「一番近しい人間に迷惑かけなくてどうするの?」
「い、いやでしょ?」
「桜さんは俺が困ってたら支えてくれないの? 迷惑だな、いやだなって思う?」
「そんなわけないじゃない!」
ふ。と葵が微笑んだ。
「だからずっと迷惑かけてよ。それで桜さんも俺も自分らしく、一緒に生きればいいじゃない」
「……葵、思い出したの?」
「え?」
なにを?と葵が問い詰めようとするが、桜は葵の胸に頭を預けてきた。
「~~~っ。あのアオイは葵の中にちゃんといるんだね」
「桜さん?」
「オンラインゲームの最後の日、アオイが言った言葉――忘れてるんでしょ? でも私にはとても大事な言葉だったの」
「え?」
「私、あの言葉をもらってから、私は私でいいんだって。普通じゃなくても、自分らしく生きていいんだって少しだけ思えて、いままでずっとやってこれたの。アオイがくれた言葉が、この4年間ずっと私らしく生きていく支えだったの」
オンラインゲームの最後の日にくれた言葉がなんだったか、そんなことは葵の記憶の中に埋もれててもいい。ちゃんと上っ面の言葉だけじゃなく、葵の中にあの言葉は刻まれているからこそ、『迷惑かけていい』と言ってくれたんだと桜はわかった。そう思って泣きながら、とても透き通るような笑顔を浮かべて言った。
「いいの。思い出せなくてもいいの。でも、葵の中にしっかりあることなんだね。あれは…」
「あの……桜さん? 俺が一体何を……」
少し戸惑ったような葵を見上げて桜は言った。
「葵が好き。いないと寂しくて、寂しくて、足りなくて涙が出そうになるくらい」
葵が、くしゃりと表情を崩した。
「桜さん、迷惑かけていいから、桜さんらしくしていて? でも俺の傍にできる限りいて?」
「う、うん。も…もっと好きになってもいい、のね?」
やばいと小さくつぶやいて、葵が加減できず、強い力で桜を抱き寄せた。痛いくらい抱きしめられて――でも、久しぶりの葵の体温と匂いに桜はくらくらとした。
「や。だって、私のパーツが好きなだけでしょ。葵にとっては、彼女が今いない間の遊びみたいなもんでしょ? 葵より年上だし、酔っ払って電話したり、すぐ迷惑かけちゃうし、そんな女に付きまとわれても迷惑なだけじゃん」
はーっと息をついて葵が、走ってきたので乱れてる前髪をかきあげた。少し怒っている口調で言葉を継ぐ。
「遊びとかいいますか…。それにそんなことが桜さんが言う迷惑なの?」
「今日だって…。もう一度だけしか会えないんだったら――って思って、こんなところでずっと待ってるってメールしちゃったし…」
「ん?一度だけって、なに?」
「インフルのときのメモ書きに『一度だけでいいから』って書いてたでしょ? だから、最後かもしれないって思って」
「『一度だけでいいから』ってこっちが、会ってよってお願いしてる話なんだけど…。もう、ほんとおっちょこちょいというか、自己評価低いなぁ」
少しだけ上を向いてため息を吐くようにいう葵を見て、桜は『う…』とうめいた。
「だ、だって。私ここ一ヶ月葵に会わないようにしてたし、お正月…熱に浮かされて迷惑かけちゃったし。もう呆れられちゃったのかもって思って」
「自覚はあったんだ?」
こくんと、小さく頷いて桜が続ける。何でそんな誤解をしてしまったんだろうと、頬が熱くなる。
「そ、それに、たとえば付き合ったとして、彼女っぽいこと出来ないだろうし…」
「彼女っぽいことって?」
葵が少し、目を緩めて桜を見つめて言う。
「毎日何回もメール書いたり、ちゃんと葵優先でスケジュール組んだり、可愛いお酒しか飲まなかったり…」
「ぷっ。桜さんの言う彼女っぽいことって…! 可愛いお酒飲むことなの?」
吹き出されて、空いている片手をわき腹に添えて笑う男を呆然と桜は見やる。
「なっ、何で笑うのよ」
「いや面白すぎて…」
「わ、私まじめに言ってるのにっ」
葵はごめんごめんといいながら、桜のまだ冷たい手をぎゅっと握りなおす。
「迷惑ってそれだけ?」
「や。だって…私たぶん、自分らしく振舞えなくって、変だし」
「俺のことが好きで?」
う。そんなこと面と向かって言われると恥ずかしいよとか、思ったが桜は素直に、コクコクコクと頷く。もう自分が一体なにをしたいか、顔が熱すぎてまともに考えられない。そんな様子を柔らかく見つめて、葵は桜の手をより一層握り締めた。
「桜さん、俺も桜さんのこと好きだよ」
「え?」
「ずっと、ずっと好きだったよ」
声にならない声で桜が『うそ』と形取った。
「何で嘘なんですか」
「え。だって、ずっと…パーツが好きとか、甘えていいよって…」
「ああいう風に言わなかったら、桜さん全力で逃げたでしょ?」
そういわれればそうかもな、と桜は思う。なんと言っても最初は葵のメールからさえ逃げ回っていた。志岐のことも、オンラインゲームでの恋愛騒動のことも、葵と会いだしてから桜の中で決着らしきものがついていったが、正直、最初から好きだといわれてたら怖くて逃げ出していたはずだ。
葵が桜を抱き寄せようと、手を伸ばす。
「あ。ま、待って!」
「え?」
「でもだめだと思う! 絶対迷惑だよぅ」
「どうして?」
「だってだってっ。私は私でいることやめられないんだよ? 絶対いやだよ? 普通の女子なら好きな人を優先するんだろうけど、仕事ばっかしてて、葵を一番にしたりとかできないことが多いだろうし。きっとこれからも迷惑かけちゃうんだもん」
自分らしく生きていきたい。その言葉と気持ちが桜にとっては失いたくない一線だった。だって、4年前にアオイに言われた言葉がいまだに桜の中に深く根付いている。自分だけが感じた、当の男は何気なく言った言葉だったとしても、あの大事な瞬間を手放したくない。
「迷惑かければいいですよ」
「――え?」
葵がまじめな光を瞳の奥に光らせて桜に言う。
「俺が好きになった桜さんのままがいいんだよ。付き合ったからって、こうじゃなくちゃいけないなんてないですよ。仕事が好きで、かわいくない酒が大好きで、ファッションセンスがダサくて、人にコーディネイトしてもらって。臆病なところがあるくせに、絶対問題から手を引かなくて、不器用で迷惑な桜さんでいいんだよ」
「ど、どして?」
「一番近しい人間に迷惑かけなくてどうするの?」
「い、いやでしょ?」
「桜さんは俺が困ってたら支えてくれないの? 迷惑だな、いやだなって思う?」
「そんなわけないじゃない!」
ふ。と葵が微笑んだ。
「だからずっと迷惑かけてよ。それで桜さんも俺も自分らしく、一緒に生きればいいじゃない」
「……葵、思い出したの?」
「え?」
なにを?と葵が問い詰めようとするが、桜は葵の胸に頭を預けてきた。
「~~~っ。あのアオイは葵の中にちゃんといるんだね」
「桜さん?」
「オンラインゲームの最後の日、アオイが言った言葉――忘れてるんでしょ? でも私にはとても大事な言葉だったの」
「え?」
「私、あの言葉をもらってから、私は私でいいんだって。普通じゃなくても、自分らしく生きていいんだって少しだけ思えて、いままでずっとやってこれたの。アオイがくれた言葉が、この4年間ずっと私らしく生きていく支えだったの」
オンラインゲームの最後の日にくれた言葉がなんだったか、そんなことは葵の記憶の中に埋もれててもいい。ちゃんと上っ面の言葉だけじゃなく、葵の中にあの言葉は刻まれているからこそ、『迷惑かけていい』と言ってくれたんだと桜はわかった。そう思って泣きながら、とても透き通るような笑顔を浮かべて言った。
「いいの。思い出せなくてもいいの。でも、葵の中にしっかりあることなんだね。あれは…」
「あの……桜さん? 俺が一体何を……」
少し戸惑ったような葵を見上げて桜は言った。
「葵が好き。いないと寂しくて、寂しくて、足りなくて涙が出そうになるくらい」
葵が、くしゃりと表情を崩した。
「桜さん、迷惑かけていいから、桜さんらしくしていて? でも俺の傍にできる限りいて?」
「う、うん。も…もっと好きになってもいい、のね?」
やばいと小さくつぶやいて、葵が加減できず、強い力で桜を抱き寄せた。痛いくらい抱きしめられて――でも、久しぶりの葵の体温と匂いに桜はくらくらとした。