やむ落ち。
「鈴木さん、昨日、人事の主任と呑んだでしょ?」
朝、新卒の研修用の会議室に入ったら、同期の山野アキに楽しそうに声をかけられた。どこからそんな話を?とは思ったが素直に、そうそう、おいしい焼き鳥屋さんだったとだけ答える。
「いいないいなー。私まだ同期としか呑みにいってないよ」
「いや、私なんか昨日が会社入って初めての飲み会だったし…」
「えっ!」
非常にアキが驚いて、今度飲もうよ!と誘ってくれた。
そういや、あまりに忙しくて同期と、それほどしゃべったり、仲良くしたりしてないなーということに桜は気がついた。
ふと、今日のミーティングで隆に一緒にお買い物いく女子をピックアップしてこいとか言われてたなーと思い出す。山野アキを見る限り、化粧も今風だし、なんとなく洗練されている気がした。
「山野さん、あのお願いがあるんだけど――」
定時後、いつものように隆の部署の打ち合わせスペースに桜はアキをつれてやってきた。隆は上から下までアキを眺めて、少し満足げにうなずいた。そこにもう一人、女性が大きな紙袋を抱えてやってきた。
「隆――」
「お。女史。ちゃんと持ってきてくれた?」
「うん」
アキと桜は会釈しつつ、何がなんだかわからなくて少し腰が引けた。女性はにっこりと笑って二人を見つめた。
「ま、ちょっと座ろうぜ~」
にまにまと笑いつつ、3人を促して打ち合わせスペースに座る。
「こちら、EC事業部の安田女史。女史、今年の新卒の鈴木桜と山野アキね」
「ああー。うわさの?」
うわさ?と桜は怪訝な顔をしたが、アキはにっこりと笑った。
安田女史と呼ばれた人は隆よりいくつか下だろうか。20代半ばくらいのストレートヘアーが美しいスレンダーな美女であった。
「そうそう。うわさの俺にこき使われるガッツある新卒と、なぜかすでに情報通の新卒一の美女」
え。私にそんなうわさが? というか山野さんってそんな有名人なの?と桜は驚く。そんなことは頓着せず、隆は続けた。
「というわけで、鈴木桜改造計画のミーティングを開始する」
「はい?」
「いやもう、おまえダッサいからさ、とりあえず、そこ何とかしないと損だぜ」
いや仕事に容姿は関係ないんじゃないですか?と桜はもごもごといったが、アキにも安田にも『そうねー。ちょっと何とかしないとね~』とか異口同音に言われて萎れた。
「山野さん、とりあえず桜連れて週末買い物いってくれるか?」
「具体的には何を買えばいいですか?」
「スーツはまず一着必要だなぁ。あと化粧品。最低限でいいけど、桜に似合うとしたらいまのブラウン系じゃなくて、オレンジ系な感じがするんだよな。しかもリップかって言うような口紅とかいらんし」
「あーそうですね。たしかに。スーツはそんな高いものじゃなくていいですか?」
「新卒の給料なんか知れてるしな。シックなものがあるならZARAとかでもいいんじゃね?」
なんだか勝手に話が進むのに桜はあっけに取られた。
「あと、目指すは女史の系統な」
安田を指して隆は言った。
『なるほど、お手本ってことですね』とアキはつぶやいた。
「エレガントだけど若干隙があるカンジっていうやつですね?」
「そうそう。桜に甘めのファッションはあまりよく似合わないから」
「りょーかいです。甘さ抑え目ってことで了解しました。普段使いの服とかいいんでしょうか?」
「今回はスーツ一揃いだなぁ。靴も下手したら必要だろうし」
『あと、女史』と、隆は安田を見た。安田はにっこり笑って紙袋を出した。
「私のお古で恐縮なんだけど、1、2回着てたんすの肥やしになってる服だから、よかったらもらってくれないかなぁ」
そういって、打ち合わせスペースに10着ほどの服を出してくる。スカーフなどの小物もあったりする。
「え!? めっそうもないです!」
「いやほんと、ありすぎて困っちゃってね~。本当にもらってくれると助かるの」
そういってきれいな笑顔で微笑まれると、桜は何もいえなくなった。
「女史、着道楽だもんな。これで普段使いはそこそこ余裕ができるから、大丈夫だ。山野さん、できれば桜の家行ってワードローブのチェックもしてもらえると助かるな」
さり気に恐ろしいことを隆が言った。
「あーわかりました! わくわくしますね~。遠慮なくばっさりいろいろ捨ててもいいですか?」
「あると着てしまうしな。とりあえずユXXXとかあったら全捨てでいいぜ」
いやもうなんて突っ込めば、いいかわからない…と、桜は肩を落とした。
その後もたまに安田からはあまった古着をもらい、アキと頻繁に買い物を行くようになった。アキは桜のワードローブ管理に妙な情熱を燃やしていた。そろそろ下着にも手を入れられそうになっていて、それだけは許して!という攻防を展開している。正式な配属先が決まる頃には、桜は会社に入ってずいぶん垢抜けたと、うわさされる程度になってきていた。
正式に、マーケティング部門への配属が決まったが、隆の仕込が厳しかったためか、プレゼンテーション資料を仕上げる能力は、新卒の中では群を抜いて現実的な資料を作るという評価を得ていた。社内の小さなプロジェクトでの発表会もこなし、プレゼンテーション能力も押し出しも堂々としているということで、評価を得ることができた。
――どれもこれも、隆さんのおかげなんだよね。
最初ダサい連呼されたときは、大分萎れたし、やることは強引だが、結局、入社から半年で戦力になるという評価を得れたのは隆のおかげでしかなかった。
たまに飲みに誘われると必ず、社内社外含めてさまざまな知己も得て、それが業務をさらに潤滑にした。当然、アキも一緒だったりするし、アキはアキでいろいろな人脈や情報を集めているので、違うレイヤーのうわさを拾ってきたりする。
最初、同期とさえ飲みに行くこともなく、仲のいい人間がいなかったのが嘘のようだった。
そんなときにうわさが一つ、舞い込んだ――。
「りゅ、隆さん!」
数週間、お互い業務が忙しくて会えてなかったが、久々に社食で会った隆は、疲労の色を濃くしていた。
「どうした?」
「あ、あのっ野方さんが――」
「ああ。桜、今晩飲もう」
その話はそのときに…、と言外にいって、隆はそのまま部署に戻った。
「本当なんですか?」
桜が聞いたうわさとは、野方がオーディオ部門の技術者から、テレビ部門の技術へと異動するという噂であった。
「ああ。本当だ」
イヤホンなどの音の聞こえ具合の調整などは、技術者のセンスに非常に左右される。カエデの最近の名器といわれるヘッドホン関連はすべて野方の最終調整を受けたものばかりである。
「っなんで…」
「んー。まぁ、単純な話だよ。去年、テレビ部門の赤がひどくて、随分人を切ったんだ。で、残った技術者たちを振り分けてっていう右から左に異動させるという人事だよ」
「でも、でも」
「うん、桜が言いたいことはよくわかる。テレビとオーディオじゃまったく技術者の能力は違うものを求められるからな」
「なのに…」
「残念ながら、今の会社のやり方はそういうもんなんだ」
隆の残念そうな顔を見て、桜はそれ以上何も言えなくなった。
桜もカエデの製品を愛しているが、隆はさらにもっと先を見て愛していた。
それは何度も、飲みにいったり、仕事で接していれば簡単にわかることである。桜より悔しいのは隆だろう。野方だけでなく、ほかの技術者も同様の人事がいくつも発令されるのを知っているのであろう。
しばらく二人は黙ったまま、杯を重ねた。
随分たってから、隆が搾り出すように話した。
「桜、俺は人々を豊かにする、そんな製品を世の中に出して、カエデのスローガンである『Life is Style』を必ず名実ともに本物にしてやる」
だからついて来れるか? そう、尊大な男は目のふちを若干赤くしていった。
桜は、隆の目を見てこくりと、一つだけうなずいた。
その生真面目な表情を見て、ああ、桜は同じ気持ちで、同じ方向を見て、一緒にやっていってくれる人間なのかもしれない。こいつに最初会ったときから女を感じないのは結局そういうことだったのかなぁ、そう隆は思った。
「なんですか?隆さん?」
上司の机にいろいろな決裁資料を置きにきて、ボーっと桜を見つめる隆の視線に気がついて、桜が言った。
「いやー。随分おしゃれさんになったよな、一見」
「は?」
「あの新卒のときのダッサいお前を見てたら、坂野や松本なんていうだろうなぁ~って思ってさ」
桜は顔を少し赤くして、キッと隆を見た。
「もう!何年前の話してんですか! 一生このネタでゆするつもりでしょ!? そんなこと考えてる暇があったらちゃんと決裁資料見てクダサイヨ!!」
キーっとか言いそうな気配で桜は隆の机から離れていった。
左足のアンクレットが微妙に音をたてた。
「坂野や松本だけでなく、失態君もたぶん目に留めないと思うんだけどなぁ~。あのダサさじゃ…」
ちょっとは俺に感謝しなさいよ、せっかくフラグ立ったんだからさ~と隆は一人ごちて、書類に手を伸ばした。
朝、新卒の研修用の会議室に入ったら、同期の山野アキに楽しそうに声をかけられた。どこからそんな話を?とは思ったが素直に、そうそう、おいしい焼き鳥屋さんだったとだけ答える。
「いいないいなー。私まだ同期としか呑みにいってないよ」
「いや、私なんか昨日が会社入って初めての飲み会だったし…」
「えっ!」
非常にアキが驚いて、今度飲もうよ!と誘ってくれた。
そういや、あまりに忙しくて同期と、それほどしゃべったり、仲良くしたりしてないなーということに桜は気がついた。
ふと、今日のミーティングで隆に一緒にお買い物いく女子をピックアップしてこいとか言われてたなーと思い出す。山野アキを見る限り、化粧も今風だし、なんとなく洗練されている気がした。
「山野さん、あのお願いがあるんだけど――」
定時後、いつものように隆の部署の打ち合わせスペースに桜はアキをつれてやってきた。隆は上から下までアキを眺めて、少し満足げにうなずいた。そこにもう一人、女性が大きな紙袋を抱えてやってきた。
「隆――」
「お。女史。ちゃんと持ってきてくれた?」
「うん」
アキと桜は会釈しつつ、何がなんだかわからなくて少し腰が引けた。女性はにっこりと笑って二人を見つめた。
「ま、ちょっと座ろうぜ~」
にまにまと笑いつつ、3人を促して打ち合わせスペースに座る。
「こちら、EC事業部の安田女史。女史、今年の新卒の鈴木桜と山野アキね」
「ああー。うわさの?」
うわさ?と桜は怪訝な顔をしたが、アキはにっこりと笑った。
安田女史と呼ばれた人は隆よりいくつか下だろうか。20代半ばくらいのストレートヘアーが美しいスレンダーな美女であった。
「そうそう。うわさの俺にこき使われるガッツある新卒と、なぜかすでに情報通の新卒一の美女」
え。私にそんなうわさが? というか山野さんってそんな有名人なの?と桜は驚く。そんなことは頓着せず、隆は続けた。
「というわけで、鈴木桜改造計画のミーティングを開始する」
「はい?」
「いやもう、おまえダッサいからさ、とりあえず、そこ何とかしないと損だぜ」
いや仕事に容姿は関係ないんじゃないですか?と桜はもごもごといったが、アキにも安田にも『そうねー。ちょっと何とかしないとね~』とか異口同音に言われて萎れた。
「山野さん、とりあえず桜連れて週末買い物いってくれるか?」
「具体的には何を買えばいいですか?」
「スーツはまず一着必要だなぁ。あと化粧品。最低限でいいけど、桜に似合うとしたらいまのブラウン系じゃなくて、オレンジ系な感じがするんだよな。しかもリップかって言うような口紅とかいらんし」
「あーそうですね。たしかに。スーツはそんな高いものじゃなくていいですか?」
「新卒の給料なんか知れてるしな。シックなものがあるならZARAとかでもいいんじゃね?」
なんだか勝手に話が進むのに桜はあっけに取られた。
「あと、目指すは女史の系統な」
安田を指して隆は言った。
『なるほど、お手本ってことですね』とアキはつぶやいた。
「エレガントだけど若干隙があるカンジっていうやつですね?」
「そうそう。桜に甘めのファッションはあまりよく似合わないから」
「りょーかいです。甘さ抑え目ってことで了解しました。普段使いの服とかいいんでしょうか?」
「今回はスーツ一揃いだなぁ。靴も下手したら必要だろうし」
『あと、女史』と、隆は安田を見た。安田はにっこり笑って紙袋を出した。
「私のお古で恐縮なんだけど、1、2回着てたんすの肥やしになってる服だから、よかったらもらってくれないかなぁ」
そういって、打ち合わせスペースに10着ほどの服を出してくる。スカーフなどの小物もあったりする。
「え!? めっそうもないです!」
「いやほんと、ありすぎて困っちゃってね~。本当にもらってくれると助かるの」
そういってきれいな笑顔で微笑まれると、桜は何もいえなくなった。
「女史、着道楽だもんな。これで普段使いはそこそこ余裕ができるから、大丈夫だ。山野さん、できれば桜の家行ってワードローブのチェックもしてもらえると助かるな」
さり気に恐ろしいことを隆が言った。
「あーわかりました! わくわくしますね~。遠慮なくばっさりいろいろ捨ててもいいですか?」
「あると着てしまうしな。とりあえずユXXXとかあったら全捨てでいいぜ」
いやもうなんて突っ込めば、いいかわからない…と、桜は肩を落とした。
その後もたまに安田からはあまった古着をもらい、アキと頻繁に買い物を行くようになった。アキは桜のワードローブ管理に妙な情熱を燃やしていた。そろそろ下着にも手を入れられそうになっていて、それだけは許して!という攻防を展開している。正式な配属先が決まる頃には、桜は会社に入ってずいぶん垢抜けたと、うわさされる程度になってきていた。
正式に、マーケティング部門への配属が決まったが、隆の仕込が厳しかったためか、プレゼンテーション資料を仕上げる能力は、新卒の中では群を抜いて現実的な資料を作るという評価を得ていた。社内の小さなプロジェクトでの発表会もこなし、プレゼンテーション能力も押し出しも堂々としているということで、評価を得ることができた。
――どれもこれも、隆さんのおかげなんだよね。
最初ダサい連呼されたときは、大分萎れたし、やることは強引だが、結局、入社から半年で戦力になるという評価を得れたのは隆のおかげでしかなかった。
たまに飲みに誘われると必ず、社内社外含めてさまざまな知己も得て、それが業務をさらに潤滑にした。当然、アキも一緒だったりするし、アキはアキでいろいろな人脈や情報を集めているので、違うレイヤーのうわさを拾ってきたりする。
最初、同期とさえ飲みに行くこともなく、仲のいい人間がいなかったのが嘘のようだった。
そんなときにうわさが一つ、舞い込んだ――。
「りゅ、隆さん!」
数週間、お互い業務が忙しくて会えてなかったが、久々に社食で会った隆は、疲労の色を濃くしていた。
「どうした?」
「あ、あのっ野方さんが――」
「ああ。桜、今晩飲もう」
その話はそのときに…、と言外にいって、隆はそのまま部署に戻った。
「本当なんですか?」
桜が聞いたうわさとは、野方がオーディオ部門の技術者から、テレビ部門の技術へと異動するという噂であった。
「ああ。本当だ」
イヤホンなどの音の聞こえ具合の調整などは、技術者のセンスに非常に左右される。カエデの最近の名器といわれるヘッドホン関連はすべて野方の最終調整を受けたものばかりである。
「っなんで…」
「んー。まぁ、単純な話だよ。去年、テレビ部門の赤がひどくて、随分人を切ったんだ。で、残った技術者たちを振り分けてっていう右から左に異動させるという人事だよ」
「でも、でも」
「うん、桜が言いたいことはよくわかる。テレビとオーディオじゃまったく技術者の能力は違うものを求められるからな」
「なのに…」
「残念ながら、今の会社のやり方はそういうもんなんだ」
隆の残念そうな顔を見て、桜はそれ以上何も言えなくなった。
桜もカエデの製品を愛しているが、隆はさらにもっと先を見て愛していた。
それは何度も、飲みにいったり、仕事で接していれば簡単にわかることである。桜より悔しいのは隆だろう。野方だけでなく、ほかの技術者も同様の人事がいくつも発令されるのを知っているのであろう。
しばらく二人は黙ったまま、杯を重ねた。
随分たってから、隆が搾り出すように話した。
「桜、俺は人々を豊かにする、そんな製品を世の中に出して、カエデのスローガンである『Life is Style』を必ず名実ともに本物にしてやる」
だからついて来れるか? そう、尊大な男は目のふちを若干赤くしていった。
桜は、隆の目を見てこくりと、一つだけうなずいた。
その生真面目な表情を見て、ああ、桜は同じ気持ちで、同じ方向を見て、一緒にやっていってくれる人間なのかもしれない。こいつに最初会ったときから女を感じないのは結局そういうことだったのかなぁ、そう隆は思った。
「なんですか?隆さん?」
上司の机にいろいろな決裁資料を置きにきて、ボーっと桜を見つめる隆の視線に気がついて、桜が言った。
「いやー。随分おしゃれさんになったよな、一見」
「は?」
「あの新卒のときのダッサいお前を見てたら、坂野や松本なんていうだろうなぁ~って思ってさ」
桜は顔を少し赤くして、キッと隆を見た。
「もう!何年前の話してんですか! 一生このネタでゆするつもりでしょ!? そんなこと考えてる暇があったらちゃんと決裁資料見てクダサイヨ!!」
キーっとか言いそうな気配で桜は隆の机から離れていった。
左足のアンクレットが微妙に音をたてた。
「坂野や松本だけでなく、失態君もたぶん目に留めないと思うんだけどなぁ~。あのダサさじゃ…」
ちょっとは俺に感謝しなさいよ、せっかくフラグ立ったんだからさ~と隆は一人ごちて、書類に手を伸ばした。