やむ落ち。

独り寝

【1】
 むわっとした雨が降っていた。
 ゆっくりとバケツの穴から漏れるような雨だ。
 日本の雨の降り方とはまったく違っていて、ああ、『あのひと』から随分離れたところにいるんだな、とふと思った。

 先週末、偶然一夜を共にした『あのひと』のことを少し思い出して、ついつい笑いが押さえられない。
 茶色のまっすぐな髪や、めくれ上がったタイトスカートから伸びるすらりとした脚。
 俺の指先に応える啼き声――。
 つらつらと、そんなことを思い出すと、なんとなく体がざわついた。

 あの週末までは、ここ3年ばかし、たまに飲む機会のある年上の女《ひと》くらいの印象で、週末のことは本当に偶然だった。
 機嫌よく酔っ払っている彼女をそのまま帰したくなかっただけに過ぎなかった。
 抱いてみたら、初々しくて素直な反応で――、今もなんだか気になる。

 きっと、たぶん…それだけだ。

 空調の効いているホテルだというのになんとなく、熱帯の雨の気配が忍び込んでくるような気がして、少し暑苦しい気がする。
 明日からの予定を頭に再度叩き込んで、今日はもう眠ろうと決めて、ベッドにもぐりこんだ…けれど、サラリと乾いた冷たいシーツの感触が、自分が独りだという気分にさせられる。

 ああ。やっぱり明日、桜さんにメールを送ろう。

 ちょっとした写真を添えて、送ったらきっと、何でこんなものが送られてくるのか?とか困惑しておろおろしそうだなぁ。唐突にそんな風に思って楽しくなる。
 世慣れた人かと思ってたけど、一対一で接するとかなり不器用なところのある人だと思った。

 からかうとかなり楽しそうだと、わざとすりあわせとかはせずに、ちょっと長めの出張にいってきます、という内容のメールを送った。
 彼女からのメールはそっけないもので、ただただ、困惑して混乱して、俺のことをどうしていいのかわからないという気配が見え隠れして、ちょっと笑ってしまった。

 きっと俺のことで頭はさぞかしいっぱいだっただろう。

 そういえば、どんなものが彼女は好きだっけ。
 ワインだと、赤…ピノ・ノワールのものよく飲んでるな。
 焼酎は富乃宝山かな。芋が確か好きなはず。
 あとはスコッチとか、結構酒の趣味がおっさんくさいんだよな。
 そういう飾らないところも、かなり楽しい魅力だ。

 彼女の好きなもの、好きそうなものを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちてた。




【2】
 ――あ。『あのひと』に似合いそうだな。

 商談がひとつ終わって、業務範囲とは違うけれど、アクセサリーの工房のようなところを紹介されたので見に来た。若干寝不足気味でぼーっとしながらも、若いアーティストの作品を見せてもらっていたときに、俺はふとそう思った。

 昨日、送りつけた緑色がまぶしい雨蛙の画像や、軒先で雑談するお年寄り達みたいな、ちょっとゆったりした時間を切り取ったような画像をメールにして『あのひと』に送った。
 何らかの反応があったらラッキーだなって程度だったけど、予想通り、何の反応もなかったことになぜか落胆した。

 少しイジワルな気分で、『あのひと』がオタオタするだろうと思って、あの夜のことに意味をつけずに出張に来てみたけど、裏を返せば、次の約束がないということに今更気がついた。

 あほかよ、俺は。

 『あのひと』がオタオタする様子を見たかったんであって、想像してるだけじゃ何も楽しくないじゃないか。

 自分のあほさ加減にうんざりしていたときに、ふと入ったこの工房で、『あのひと』にピッタリなアクセサリーを発見した。天使の羽を象った彫金に、スワロフスキーのビジューのアンクレット。

 いつでも飛び回ってて元気な『あのひと』に、ふと何かを刻みつける代わりにならないかと思いつきのように思って、それを包んでもらった。
 買ってから、何でこんなの買ったんだ?と自分の感情に戸惑った。
 一度だけ、ちょうどよく持ち帰れた女のことを思い浮かべて何やってんだと。
 女慣れしてねー俺!と少し、ごろごろと転がりそうになった。

 きっと、熱帯の気候に疲れて寝不足なせいだ。

 その日の仕事を終えてホテルに戻って携帯をチェックすると『あのひと』から、またそっけないメールが届いていたのに気がついた。

『雨蛙もおじいちゃん達もかわいいね。元気が出ました。』

 そんだけかよ!?と思ったけども1日たってどうにか返してきた『あのひと』の混乱ぷりが目に浮んできて、やっぱ目の前で困った顔を見たいと思った。



 今日はなんとなくゆっくり眠れそうだ。




【3】
 結局、『あのひと』からのメールの返事は、その後も、ほとんど来なかった。
 予想の範疇ではあるが、面白くはなかったし、俺自身の失態をカバーする糸口が普通のアプローチでは見当たらないということにイラついた。
 今回は体調のせいもあるのか、熱帯の気候がどうも重暑く、あまり睡眠が取れなかった。

 ただ、仕事は順調に終了して、飛行機に乗り込んだ。
 日本について、スーツケースを自宅に送り返す手配をした後、そのままいったん会社に出社した。

「珍しいね。出張帰りに会社戻ってくるって」

 そう上司や同僚に驚かれるが、明日の午前中はちょっとゆっくりしたいから…。
 そう言ったら、まぁ今回の商談長かったしね。急ぎの業務がないなら休みなよ。
 すごい疲れた顔してるよ。みんなに気の毒そうに言われた。

 どうせ『あのひと』は今夜も遅くまで働くんだろう。
 そう思っていたから、日本に戻ってすぐに『出張から帰ってきました。よかったら今日会えませんか?』そういう内容のメールを書いた。
 会社で報告書やら、契約書を仕上げてもらうための作業やら、10日間ほどの間にたまった雑事をこなしつつ、返事を待ったけども、もちろん来なかった。待っている間に明日休もうが大丈夫なところまで仕事を終える。

 あー。頭くるなっ。

 寝不足なのが原因だということも自分でもわかっているが、むかついてむかついて仕方がない。
 なんで『あのひと』は反応をくれないんだろうか?
 しょうがないので、これだと何らかの反応はあるだろう、という内容のメールを最寄り駅近くに戻ったときに送りつけた。うっかり忘れ物する桜さんが悪い、と一人ごちたが、あの朝のあわてぶりや、真っ赤になった彼女のかわいらしさを反芻してしまって、なんだかより渇きが増した気がした。

 ここまで煽られたんだったら、彼女を捕獲して、貪り食うくらいのことはしてもいいだろう。

 そう思ったが、久しぶりの日本のビールの冷たさと軽いコクを楽しんだら少し冷静になった。


 ただ、今夜は絶対独り寝はしないつもりだ。
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