花は花に。鳥は鳥に。
 とろなまラスクは城崎によく似合う。

 どこかレトロなパッケージは、どこかレトロを残した温泉郷に似合いのお菓子だ。

 課長が一個食っていたから、敬子と仲良く二つずつで分けられた。

 やさしい味。懐かしい味。ふわりと甘く薫って、溶けて消えた。


 あっという間に二つとも口に放り込んで、敬子が軽く言った。

「なんかさー、課長って和装が似合うイケメンだったよねー。」

「んー。いい感じだったね、確かに。」

 わたしも負けじと軽く返す。

 なんとも思っていない相手だったら、別段、なんとも思わず軽口で返すべきだ。

 振り返ると、少し遠くになった紺の浴衣が目に入る。

 しゃんと姿勢を正して、道行く人々の中でもすぐに解かるほど目立っていた。

 芸能人を思わずで見つけてしまったようなシアワセな感覚だ。

 イケメンは無条件でいいものだ。


 課長の意味深な眼差しが、何を期待していたのかは知らない。

 わたしがその視線に気付いて、何を期待したのかも知りたくない。

 それは長いこと忘れていた感覚で、恋の始まりはこんな風に甘くてシアワセでロマンチックだ。

 甘いお菓子は口の中から溶け去って、知らないうちに『わたし』になる。


 例えば課長の奥さんは、今、自分の旦那がこんな風に見知らぬ女に誘惑されている事など知らない。

 こんな風に、人との出会いはいきなり訪れたりするんだ。

 リアルの後味は良いばかりとは限らない。


「一の湯と御所の湯だと、どっちがいいかなぁ?」

 わたしはさっさと胸のトキメキを忘れてしまうことにした。

 裏切りに遭ったばかりの女が、裏切りの予感にトキメいたって自己嫌悪しか生まないのだ。

「両方行けばいいじゃん! 近いんだし!」

 敬子は無茶なことを言いだした。

「課長のせいで貴重な十分を無駄にしたんで無理です。」

「えーっ、」

 がっかり、という感情を思いっきり表現し尽くした顔で敬子がボヤいた。


 手近な外湯へ行って、はしごすると聞かない敬子を宥めてなんとか帰路へつく頃には、宴会の時間が迫っていて、火照りを冷ますことは出来なかった。

 慌てふためいて、メイクだけは死守して出掛ける。

 せっかくお風呂でさっぱりしたのに、またじっとりと汗ばんでくる。

 けれど、ビールはキンキンに冷えていて、実に美味しそうだった。

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