花は花に。鳥は鳥に。
 近所の人のうわさ話って、当事者の耳に入る頃には町全体が知っていたりする。

 わたしが親友の恋人を横取りしようとしたっていう話は、わたしが気付く頃には町内で知らぬ者はいない状態になっていた。

 いいや。町内だけでなく、職場でもなぜか知られていた。

 恐ろしいことだ。人って、悪徳に関しては容赦がない。


 隣のおばさんが、親切心ではっきりと教えてくれた。

「いえね、皆が言うもんだから。

 わたしはほら、聞いただけだし、信じてるわけじゃないんだけどね。」

 余計なおせっかいというものだ。

 おばさんの瞳には好奇心と悪意の光が滲みでていて、単なる老婆心だけでない事を教えていた。

 こうしてわたしに知らせることが、彼女にとっては正義の鉄槌なのだ。

 他の人は何も言わない。何も言わないけど、知っているから陰で嗤っているだろう。

 その下卑た笑い声が、聞こえるはずもない声が、わたしを悩ませた。


 夢中になっていた時には、こんなしっぺ返しがあるなんて、思いもしなかった。

 わたしは馬鹿だったんだ。

 いつもは空気のような存在だった周囲の人間たちが、いきなり実存となってアピールを始めた。

 正義の味方となって、悪人のわたしを追いかけはじめた。


 日曜日の昼過ぎだった。

 買い物に出掛けようと玄関に立った時に気付いた。

「まぁ、そうなの……、」

「そうらしいわよ、」

 近所の人が、いつものように立ち話をしているのだと思っていた。

「あら、」

 一瞬、彼女たちの表情に歪んだ微笑が見えた。

 目があったような気がした瞬間に、二人の気になる表情は愛想笑いの下に埋もれた。

「それじゃ、奥さん。」

「ええ、またね。」

 そそくさと、わたしには気付かなかったような顔で反対方向へ歩き去る。

 いつもの、よく見る光景じゃないと、この時に気付いた。

 隣のおばさんと同じ目だった。



「お客さま、お食事の用意をさせてもろうて宜しいですやろか?」

 過去に引きずり込まれていたわたしの耳に、突然、そんな言葉が届いた。

 客室のドアの向こうから呼びかけられた声だ。

「あ、はい、よろしくお願いします、」

 釣られてわたしも少し大きな声で、そう返していた。

 ドアが開かれる。

 オートロックが付いていたと思うけど、布団の用意や食事の準備など、従業員はかなり自由に行き来できるらしかった。

「失礼いたします、」

 仲居さんが頭を下げて、室内に進んだ。

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