花は花に。鳥は鳥に。
「いえね、このお味噌があんまり美味しかったもんだから。

 家に持って帰りたいなと、娘と話していたんですよ。

 最近は販売用に置いてあったりしますでしょ、こちらにもそういうのがあるかも知れないね、と。」

 母はころころと笑い、そう言って事情を二人に説明した。

 かしこまっていた板前さんが顔を上げた。

「はぁ、えろうすんません。

 最近、メニューに加えた品ですよって、まだそういう方面には考えてないんですわ。」

 本当に申し訳なさそうに、板さんは帽子に手をやった。


 和食の板前さんが着る合せの白い割烹着に、青いラインの入った制帽。

 コック帽とはちょっと違う。

 短い刈り上げの頭はいかにもって感じで清潔感があって、好感が持てた。

 まだ若い人だ。わたしと同じくらいかも知れない。

 いや、もしかしたらもっと若いかも。

 外部の人間から褒められることに慣れていない様子で、始終照れ笑いを浮かべていた。

 その笑顔は、格好良いというより可愛いいという感じだった。

 ちょっと微笑ましい気分。


「とっても美味しかったです。

 レシピとか教えてほしいくらい……て、それは無理ですよね、企業秘密ですもんね。」

 感じの良い板前さんだったから、つい口が軽くなってしまって。

 慌ててフォローした。

 店の味をそうそう教えられるわけがないだろう。

「はぁ。すんません。」

 案の定、照れに申し訳なさが混じった微妙な薄笑い。

 困らせてしまったかな。

 そこで話が途切れて、ちょっとした間が出来た。

 ふいに板前さんが顔を上げた。


「あの、よかったらこれ、持って帰ったってください。

 こんな入れ物で申し訳ないんやけど。」

 板前さんがそう言って背後から出したものは、ビニールに包まれた何かだった。

 目の前へ差し出された包みを、わたしは遠慮がちに受け取った。

 ワンカップ酒の瓶だろう、中に茶色いものが詰まってて、味噌だとすぐに解かった。

 それがラップかなにかで包まれてある上に、厳重にビニール袋で二重に梱包してあった。


「明日、お帰りやと聞きました。

 この気温やったら常温でも二三日は保ちますんで、帰ってすぐ冷蔵庫に入れてくれはったら、一週間くらいは充分に保ちます。

 造り方はお教えできませんから、せめてと思て。

 どうぞ、持って帰ってご賞味ください。」

 板前さんがまっすぐにわたしを見てそう言ってくれる。

 本当に貰ってしまっていいものだと、その目が教えてくれていた。

 さらに申し訳なさが募る。

 わざわざ用意してくれたのだと思うと、どうリアクションを返せばいいのか、ほとほと困り果ててしまった。

 もちろん、こちらとしても有難いし、とても嬉しいのだけど。

「あの、どうも有難うございます。

 いえ、もう、なんだか余計なお手間をお掛けしたみたいで、すいません。」

 わたしは、言葉を選びながら、そう返した。
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