花は花に。鳥は鳥に。
 城崎は冬の夜でも表通りは人が絶えない。

 母は浴衣姿にも関わらず、化粧も万全、女性用カツラまでキチッと装着してお出かけに臨んでいた。

「お母さん、どこまで行くつもりよ? お風呂よ?」

「そうよ。だけど、表の通りをすっぴんでなんて歩けないでしょ。」

「誰も見てないわよ。」

 わたしが苦笑で答えると、母は茶目っ気たっぷりのポーズを気取った。

 浴衣の袖に両手を引っ込めて、口元を隠して品を作って。

 母がこんなに明るいのは、珍しいことだった。


 そろそろ出ようという時になって、母のいつもの心配性が戻ってくる。

「遙香、貴重品はちゃんと金庫にしまった?」

「うん。

 小銭用の小さいの持ってきたからね、お財布はバッグと一緒に入れといたよ。」

 その辺りはぬかりない。

「小銭ってどのくらい持ったの?
 百円二百円じゃ少なすぎるし、一万円も持ったら泥棒が心配だし、」

「もー。子供じゃないんだから、そのくらいは弁えてるわよ。

 へんな心配しなくていいから。」

 この旅館では、部屋のキーがそのまま金庫のキーも兼ねていた。


 世の中、こんな風にすべてが合理的に割り切れたら楽なのに。

 カノジョが居る事を知ってて、そういう関係になるなんて、どう考えたって合理的じゃない。

 なんで浮気したのか、裏切ったのかって言うけど。

 後先なんて考えてるわけないじゃない。紗枝。

 紗枝の顔が脳裏をよぎったことは、否定しないけれど。

 自分でも解からないよ。

 紗枝のこと、ナメて見ていなかったかって事さえ、解からない。

 醜い心がなかったなんて、言えない。言いたくない。

 せめて正気に返った今は誠実な人間だと信じたいから、嘘は言わない。

 あの時、優越感がなかった、なんて嘘は言わない。

 解からないもの。

 あの頃は、浮気する側の事情なんか知る由も無かった。

 裏切られる痛みも、想像も出来なかった。


「紗枝、もうちょっとカレシの気持ちも考えてあげなよ。」

 わたしは非難のこもった声を出したと思う。

「なんでよ? わたしは二度も許したでしょ。甘えないでほしい。」

 紗枝は冷たい怒りを含んだ声でそう返した。

 祐介がどれほど紗枝に入れあげているか、わたしは知っていた。

 紗枝はクールだ。燃えるような恋をしてると言って、何も変わらない。


 追えば逃げ、逃げれば追いたくなるのが男心だというなら、冷たくされる方が燃えるんだろう。

 離れていく心に怯え、必死に呼び戻そうとして……。

 けど、心はきっと休まらないだろう。

 紗枝は、内心でどう考えているにしても、とてもクールに見えた。


「紗枝のカレシ、可哀そう。」

 スティックでモカを掻きまわして小さな氷を探す。

 紗枝は嫌そうな顔をして、わたしに非難の目を向けた。

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