花は花に。鳥は鳥に。
 心に傷を抱えた者は、どうしてこんなに余裕がないんだろう。

 自身を守ることに精一杯で、傷付けられることを恐れて、身を守るために相手を傷付ける。

 どうしてあんなに紗枝のことを恨んでいたのか、自分でもよく解からない。

 あの頃は、逆恨みとしか思えない感情に支配されていた。


 恵まれた家庭環境も、先生方の覚えの良さも、順調な人間関係も、わたしは紗枝のすべてが羨ましかった。

 いや、そんな風に感じたのは疎遠になってから。

 祐介との関係で疚しさを覚えてからだ。

 学生の頃には感じてもいなかった事を、勝手に、想い出すら書き換えて。

 祐介を寝取ることで、勝手な復讐心を満足させていた。

 復讐の為だったと誤魔化した。

 子供じみた言い訳を作った。


 捕らわれているなぁ。そう思う。

 シャワーを浴びながら、ため息を吐いた。

 祐介の向こう側に、いつでも、遠くなってしまった紗枝を見ていた。


「遙香ー、ちょっとおいで。ここの打たせ湯がすごく気持ちいいわよー。」

 母の声がわたしを現在へと引き戻した。

「頭洗ってるから、あとでー。うっ、」

 泡が口に入ってくる。ぺっぺっ、と吐き出した。

 自分ながら子供みたいで嫌になる。

 結局、わたしはあの頃からちっとも成長していないのだろう。


 打たせ湯を肩に浴びながら、母はリラックスした表情で天井を眺めていた。

 湯煙にけぶっている天井は、これといって見どころがあるわけでもなかった。

 わたしも母に倣って天井を見上げる。

 後で露天風呂のほうにも行ってみたいと思っていた。


「ねぇ、遙香。」

 母の言葉は不意打ちだったけれど、しんみりしていて驚かされはしなかった。

「ん、なに? お母さん。」

「母娘で旅行なんて初めてだけど、いいもんだよねぇ。」

「そうだね、また来たいね。」

 取り留めもない会話だ。

 けれど、今は真剣な話など聞く元気もなくて、有難い。

 まだ心は参ってしまっていて、時間が欲しいと思っていた。


 もう少し。

 もう少しだけ、猶予をください。

 そうしたら、きっと前を向けるから。

 失ったものが大きすぎて、今は立っているのが精いっぱいだ。

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