短編集
夏祭り

「小鳥遊(たかなし)先輩、夏祭り行きませんか!」


 部活が終わった後。日の暮れ始めた部室で帰る用意をしていた俺に、唐突にそんな言葉が投げ掛けられた。一旦手を止め、振り返る。

「夏祭り?」
「はいっ!」

 勢いよく頷くのは、中学からの部活の後輩、永栄真樹(ながえまき)。小柄な身体で跳ねるように俺に近付くと、胸の前で両手の拳を握りしめた。

「ほら、神社で毎年ある夏祭りですよ! 先輩だって行った事あるでしょ?」

 この辺りで夏祭り、といえば、近くにある神宮で行われる祭りの事だ。参道や境内にずらりと出店が並び、太鼓や雅楽などの地域サークルの発表があり、ラストには、数は余り多くないが打ち上げ花火が上がる。地域の祭りにしては、かなり大きなものだ。

「行ったのは、中学生の時が最後。人混み好きじゃねえし」
「えー! 賑やかで良いじゃないですかー。先輩、行きましょうよー」

 小さな拳を振り回して力説する永栄にきちんと向き直りつつ、怪訝な顔をして見せた。
「永栄、友達いねえの?」
「ひどっ! 友達くらいいますよ!」
 永栄は大袈裟にふくれた顔をして、怒った様に手を振り回す。期待通りのオーバーリアクションに小さく笑いつつ、肩をすくめた。

「ならそいつらと行けば。わざわざ俺と行かなくたって良いじゃねえか」
 意地悪も兼ねてそう言うと、永栄はやや視線を彷徨わせつつ、それでも握り拳を解かないで言い返してくる。
「彼氏や他の友達と約束してたり、他の用事があったりで、誰もいなかったんです! 毎年知り合いと夏祭りに行くっていうルールを破らせない為にも、先輩、一緒に来て下さい!」
「どんなルールだよ、滅茶苦茶だなそれ」

 笑いながら言うと、永栄は更に1歩詰め寄ってくる。

「良いじゃないですか! 小鳥遊先輩、週末は用事無いって言ってたでしょ! 奢れだなんて言いませんから、ね!」
「ね、って永栄、それは当たり前だろ」

 返しつつ、俺は内心溜息をついた。手を伸ばし、前髪に隠されている広い額を、軽く指で弾く。

「いたっ!」
「報酬、たこ焼き特大」
 それで妥協してやると告げると、額を押さえて大袈裟に痛がっていた永栄の表情が、ぱあっと明るくなった。

「ありがとうございます! じゃあ、土曜日の6時に、鳥居の前で!」
「げ、最初から行くのか?」
「当たり前じゃないですか!!」
「めんどくせー」
 顔を顰めるも、頷いてしまった以上は仕方ない。渋々了承を告げると、忘れないで下さいねと釘を刺して、後輩は部室から駆けだしていった。

「……おーお、ついにだなー」
 今まで黙って成り行きを見守っていた同級生の瀬良田彪(せらたひょう)が、にやにやと笑いながら口を開く。見れば、笑い顔のままわざとらしい口調で嘯いた。
「顔良し、人付き合い良し、トロンボーンのパートリーダーとして人望ありと、文句無しにモテる要素を備えていながら、1度告白されれば縁を絶つ男、小鳥遊勇(ゆう)。それをよーく知っている筈の永栄が、こんな誘いをするなんてな」
「……だな」

 返す言葉が見つからず、ただ頷く。瀬良田もまた、中学の頃から、同じブラスバンド部だ。だからこそ、俺のモットーは知っている。

 すなわち、「浅く広く、無難に」。

 友人付き合いならともかく、彼女なんて面倒なものはお断りだ。他人の恋心を否定する気は無いけれど、恋愛に付随するあれこれが鬱陶しいから、俺は絶対に手を出さない。
 よって俺は、友人としてならそれなりに仲良くやるが、それ以上の関係を要求された瞬間に、関わりを断つようにしている。文字通り、その後は口もきかない。
 最初のうちは「お友達のままでお願いします」をやっていたけど、半ストーカーのような輩が出始めたから、きっぱり縁を断つ事にしたのだ。

 中学の頃から共にトロンボーンを吹いているからか、何だかんだと関わりの多かった永栄は、その様を何度も見ている。だから、自分の誘いがどういう意味を持つのか、きちんと分かっている筈なのに。

「あれかね、兄離れの意思かね? もう付きまといませんよー的な」
 おどけて言われたその言葉に、苦笑した。こいつの例えを否定できない所が、また何とも言えない気持ちにさせられる。
「兄離れって何だよ。俺、妹なんていないぜ」
「いや、小鳥遊は面倒見良いだろ。永栄は最初どうしようもない下手くそだったけど、きっちり教えて育て上げたし、その後も何だかんだと世話焼いてるし」

 瀬良田の指摘通り、女かつ小柄な永栄は、その為か単に不器用だったのか、始めたばかりの時は、それはもう悲惨だった。音は出ないし出ても小さい。何度も先輩や顧問に、別の楽器にしたらどうかと言われていた。

 それでも頑として首を縦に振らない永栄に、結局最後まで教えたのは俺だった。あくまでトロンボーンに拘る頑固さと、いくら出来なくてもへこたれずに頑張る根性がどうにも好ましくて付き合っているうちに、最後には俺も意地になって教え込んだ。
 結果、今は次のパートリーダー候補なんだから、努力というのは偉大だと思う。

「永栄の努力あっての結果だろ。世話焼きも、先輩としての範疇は超えてないつもりだけど?」
「知ってるっての。小鳥遊がそれ以上やるかよ」
 あっさりと頷く瀬良田。薄情だとか冷血だとか言われる俺のモットーをきちんと理解してくれるこいつは、本当に得がたい友人だ。

「冗談はともかく、だ。……小鳥遊だって気付いてたんだろ。分かってた筈だぜ、いつかはこうなるって」
「……ああ」
 ふと真顔になって言う瀬良田に、少しだけ苦い顔を見せて頷いた。

 そう、分かっていた。いつからか永栄が、俺に恋愛感情を持っていた事を。不器用なりに隠すから、俺も気付かぬ振りをしていただけだ。彼女がこの関係を崩さない方を選ぶのならその方がいい、そう思って。
 どっちつかずの現状に我慢出来なくなったのだろうか。告白される経験だけは無駄に多いから、この誘いが告白の場作りである事は、きちんと察している。

 ……出来るなら、卒業、いや、せめて引退まで我慢して欲しかった。それなら、部活で気まずい思いをする事もないのだから。

「はあ、気が重い……」
「へえ、小鳥遊でも、やっぱ付き合いの長い後輩と縁を切るのは辛いのか?」
 意外そうに瞬く瀬良田に、肩をすくめて見せた。

「そりゃあな。部活来るのがちょっと億劫になりそうだ」
「おいおい、それは困るぞ?」
「大丈夫だよ、そこはわきまえてるっての」
 一瞬で副キャプテンの顔になった瀬良田に苦笑する。俺だって、そんな理由で部活を疎かにする気は無い。

 無い、のだが。土曜以降は永栄と口をきく事もないのだと思うと、やはり少し気が滅入った。
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