短編集
約束の日、当日。
部活の後時間を持て余した俺は、珍しくも早く家を出た。約束より15分も早く着くなんて、滅多に無いのだけど。
鳥居の前で待っていると、待ち合わせをしているらしき人達が、ちらほらと目に入る。やはりカップルが多く、中には男も浴衣を着ている奴がいて、あほらしいと顔を顰めた。
「あれ? 小鳥遊先輩、めっちゃ早いですね?」
不思議そうな声に視線を下げると、鳥居へと続く階段を駆け上がってくる永栄の姿が目に入る。永栄は私服だった。活発的な性格そのままの、袖のやや短いTシャツにショートパンツという服装だ。
「ああ、何か早く着いた」
「わあ、約束の時間が待ちきれなかったんですか?」
冗談めかして言う永栄に、こっちも冗談めかして返す。
「いーや、誰かさんが時間間違えたーとか言って、異様に早い時間から1人この場所で待たなくて済むよう、気を回してやったんだ」
「うわっ、そんな昔の事!」
顔を真っ赤にして腕を振り回す永栄は、中学の時、それを大会当日にやらかした。半泣きになって同学年の女子にしがみついていたあの過去は、流石にもう恥ずかしいらしい。
「もう、行きましょうよ!!」
「はいはい」
必死で誤魔化そうとする永栄を見て、頃合いと判断し素直に鳥居をくぐる。途端、人が文字通りごった返していて、体感温度が急に上がった。
「……多い。しかも暑い」
「お祭りですから!」
そう答える永栄は、キラキラと目を輝かせている。俺との事抜きにも、本当に祭りを楽しみにしていたらしく、うきうきした空気を全力で放出しつつ、出店に目が釘付けだ。
……まあ、こんなに楽しそうにしてるんだから、少し位人混みを我慢してもいいか。最後だしな。
そう思い、俺から声をかけた。
「それで、どこから見るんだ?」
「取り敢えず全部見て回ってから、気になるとこ順番に行きます!」
「りょーかい」
頷いて、永栄の飛び跳ねるような歩みに合わせて、人混みに突入する。
「それにしても、永栄は浴衣着なかったんだな」
辺りを見回せば、女子は軒並み浴衣を着ている。祭り好きらしい永栄の事だ、こういうのは絶対に外さないだろうと思っていたんだが。
「え? 小鳥遊先輩、前に言ってたじゃないですか。女の浴衣は歩幅狭いから、歩くの遅いって。先輩元々歩くの早いし、付き合ってもらうのにそんなストレス感じさせるのは悪いなーって、ちゃんと私服で来たんですよ?」
やや不満げに口を尖らせてそう言う永栄に、意外だという表情を隠しきれなかった。それに気付かない永栄じゃなく、更に不満げな表情になる。
「何ですか、その顔ー」
「いや……良く覚えてたな」
「そりゃあ、いつもお世話になりまくってる分、側にいる事多いですから!」
自慢にもならない事を胸を張って言う永栄だが、記憶にある限り俺が浴衣を着た女子と歩く面倒さを漏らしたのは、1度きりだ。
「側にいれば覚えてるってもんじゃねえだろ」
「何言ってるんですか、小鳥遊先輩。先輩だって、瀬良田先輩の嫌いな食べ物、覚えてるでしょ? 同じですよ」
不思議そうに首を傾げる永栄の様子から、こいつが本気でそれを常識だと思っていると分かった。けれど、そんなさりげない気遣いが出来る奴が、一体どれだけいる事か。
「……いや、いい。永栄らしいな」
そういえば、永栄といて不快な思いをした事は、1度も無い。さりげなく気遣い、当たり前のように行動する。明るく振り回してくれる永栄だが、それでも1度も嫌な思いをした事ないのは、それでか。
「へ?」
「何でもない。ほら、行くぞ」
呟くようになってしまった言葉尻を聞き咎める永栄をはぐらかすようにして、遅くなっていた歩みを速める。少しばかり不思議そうにしていたが、永栄の意識は直ぐに祭りへとシフトした。
「うわー……何食べよう。あれもこれも食べたくて、迷っちゃう……」
「好きなもん食べれば良いだろ?」
大体出店のものは、気軽に食べられる量になっている。だから好きなだけ食えば良いのにと疑問を投げ掛けると、永栄はふくれたような顔で俺を見上げる。
「もう、男の子の底なし胃袋ってこれだから! 女の子は2つ3つ買ったら、もうお腹一杯なんですー」
驚いた。俺なんて、そんな量では、腹の足しにもなりはしないのに。
「そうなのか?」
「そうなんです。それに、あんまり食べると太るし」
真顔で頷く永栄が付け加えた言葉に、少しうんざりした。
「何で女は、そんなに太る事を気にするんだよ……」
大して太っていない女子でも、口を開けば太る太るとそればかり。食べている時にまで言うから、こっちまで飯が不味く感じて嫌だ。
「……あのですね小鳥遊先輩、男の人と女の子とは、違うんです。女の子はね、ほんっとうに! 太りやすいんですよ。やせてる子でも、ちょっと食べすぎが続けば、あっという間におデブさんです」
だからいつでも気にしなきゃ駄目なんですよ、と言う永栄は、少し苦笑気味だった。
「先輩の言う事も分からなくはないですけどねー……口を開けばダイエット、ってのもどうかと思うし、言う子に限ってカロリー摂りすぎてたりするし」
「そう、だからうざい」
「でしょうね。けど、本当に大変なんですよ、体型維持するの。大体、太ってる子を男子が好まないから、女子は必死で太るまいとするんです。女子だけのせいにしないで下さいな」
真面目に、けれど最後はおどけた調子で訴える永栄は、それ以上意見を押しつけないだろう。嫌なものは嫌、そう言われたらまあいいや、そんな雰囲気を感じる。
「……男に好かれる為に必死で言い聞かせてる、と。すげえ努力だな」
だから、1歩下がった物言いを心がけた。すると、永栄もまた、やんわりと答えてくれる。
「ですよー。健康の為だったりもします。私は時々、えい! って食べちゃう時、ありますけど」
「じゃあ、今日をその日にしたら?」
軽い口調で提案してみると、永栄は少し考えて、にっこり笑った。
「そうします。私結構食べる方だし、先輩をびっくりさせちゃいますよ」
「出来るもんならどうぞ」
冗談交じりに言って、自然に笑顔を返す。それを見た永栄が少しだけ笑顔を崩したが、直ぐに元に戻った。気を取り直し、2人で出店を見るのを再開する。
一通り出店を見て回った後、永栄は、まずたこ焼き屋に突撃した。
「おじさーん、たこ焼き特大1つ! 焼きたてが良いです!!」
「はいよ、500円なー」
言いながらたこ焼きをひっくり返すおっさんと、財布を出す永栄を見て、呆れて言う。
「特大かよ。あれこれ食べるんじゃなかったのか?」
「へ? これ、小鳥遊先輩の分ですよ?」
「は?」
目を丸くした男女が2人、きょとんと顔を見合わせているのがおかしかったのか、おっさんが吹き出した。
「仲良いな、あんたら。けど兄ちゃん、ここは男が奢るとこじゃないか?」
「えーと……」
「あ、良いんですよ。これ、お礼なんです」
言いながら500円玉を手渡し、代わりに丁度焼き上がったたこ焼きを受け取った永栄は、首を傾げながら俺にそれを差し出す。
「ほら先輩、今日付き合ってくれた分のお礼ですよ。まずはお礼からでしょ?」
「……ああ」
そういえば、そんな事言った。冗談のつもりだったんだが、本気に受け取られてしまったらしい。
「え? あれ? 違いましたっけ?」
「いや、違わないけど……いい、自分で払うよ」
おっさんの言葉を気にしたわけじゃないけどな、と言いつつ財布を取り出そうとすると、永栄に押しとどめられた。
「何でですか! お礼だから良いんですって。小鳥遊先輩が来てくれて、私、本当に嬉しかったんですから!」
「…………」
その瞬間の笑顔を、どう表現したら良いだろう。
いつも見せている屈託の無いものとは全く違う、それ。柔らかく、何かを愛おしむようでいて、どこか寂しげで、大人びていて。矛盾した色をはらみながらも不思議と調和したその笑顔は、目の前のよく知る筈の少女を、全く知らない女性に見せた。
……女の笑顔なんて、作り上げられたものだって、よくよく知っている筈なのに。笑顔の裏でどんなぞっとする事でも平然と考えられると、分かっているのに。
綺麗だな、と。その時の俺は、素直にそれだけを思った。
「……じゃ、ありがたくいただく。ほら、永栄の買いたいもん買ってこい」
「もっちろんです! 私達のお祭りはこれからですよ!!」
元気よくそう言って小走りに次の店へと移動する永栄は、よく知る後輩の姿だ。その事にどうしてかほっとしながら、後から着いていく。
部活の後時間を持て余した俺は、珍しくも早く家を出た。約束より15分も早く着くなんて、滅多に無いのだけど。
鳥居の前で待っていると、待ち合わせをしているらしき人達が、ちらほらと目に入る。やはりカップルが多く、中には男も浴衣を着ている奴がいて、あほらしいと顔を顰めた。
「あれ? 小鳥遊先輩、めっちゃ早いですね?」
不思議そうな声に視線を下げると、鳥居へと続く階段を駆け上がってくる永栄の姿が目に入る。永栄は私服だった。活発的な性格そのままの、袖のやや短いTシャツにショートパンツという服装だ。
「ああ、何か早く着いた」
「わあ、約束の時間が待ちきれなかったんですか?」
冗談めかして言う永栄に、こっちも冗談めかして返す。
「いーや、誰かさんが時間間違えたーとか言って、異様に早い時間から1人この場所で待たなくて済むよう、気を回してやったんだ」
「うわっ、そんな昔の事!」
顔を真っ赤にして腕を振り回す永栄は、中学の時、それを大会当日にやらかした。半泣きになって同学年の女子にしがみついていたあの過去は、流石にもう恥ずかしいらしい。
「もう、行きましょうよ!!」
「はいはい」
必死で誤魔化そうとする永栄を見て、頃合いと判断し素直に鳥居をくぐる。途端、人が文字通りごった返していて、体感温度が急に上がった。
「……多い。しかも暑い」
「お祭りですから!」
そう答える永栄は、キラキラと目を輝かせている。俺との事抜きにも、本当に祭りを楽しみにしていたらしく、うきうきした空気を全力で放出しつつ、出店に目が釘付けだ。
……まあ、こんなに楽しそうにしてるんだから、少し位人混みを我慢してもいいか。最後だしな。
そう思い、俺から声をかけた。
「それで、どこから見るんだ?」
「取り敢えず全部見て回ってから、気になるとこ順番に行きます!」
「りょーかい」
頷いて、永栄の飛び跳ねるような歩みに合わせて、人混みに突入する。
「それにしても、永栄は浴衣着なかったんだな」
辺りを見回せば、女子は軒並み浴衣を着ている。祭り好きらしい永栄の事だ、こういうのは絶対に外さないだろうと思っていたんだが。
「え? 小鳥遊先輩、前に言ってたじゃないですか。女の浴衣は歩幅狭いから、歩くの遅いって。先輩元々歩くの早いし、付き合ってもらうのにそんなストレス感じさせるのは悪いなーって、ちゃんと私服で来たんですよ?」
やや不満げに口を尖らせてそう言う永栄に、意外だという表情を隠しきれなかった。それに気付かない永栄じゃなく、更に不満げな表情になる。
「何ですか、その顔ー」
「いや……良く覚えてたな」
「そりゃあ、いつもお世話になりまくってる分、側にいる事多いですから!」
自慢にもならない事を胸を張って言う永栄だが、記憶にある限り俺が浴衣を着た女子と歩く面倒さを漏らしたのは、1度きりだ。
「側にいれば覚えてるってもんじゃねえだろ」
「何言ってるんですか、小鳥遊先輩。先輩だって、瀬良田先輩の嫌いな食べ物、覚えてるでしょ? 同じですよ」
不思議そうに首を傾げる永栄の様子から、こいつが本気でそれを常識だと思っていると分かった。けれど、そんなさりげない気遣いが出来る奴が、一体どれだけいる事か。
「……いや、いい。永栄らしいな」
そういえば、永栄といて不快な思いをした事は、1度も無い。さりげなく気遣い、当たり前のように行動する。明るく振り回してくれる永栄だが、それでも1度も嫌な思いをした事ないのは、それでか。
「へ?」
「何でもない。ほら、行くぞ」
呟くようになってしまった言葉尻を聞き咎める永栄をはぐらかすようにして、遅くなっていた歩みを速める。少しばかり不思議そうにしていたが、永栄の意識は直ぐに祭りへとシフトした。
「うわー……何食べよう。あれもこれも食べたくて、迷っちゃう……」
「好きなもん食べれば良いだろ?」
大体出店のものは、気軽に食べられる量になっている。だから好きなだけ食えば良いのにと疑問を投げ掛けると、永栄はふくれたような顔で俺を見上げる。
「もう、男の子の底なし胃袋ってこれだから! 女の子は2つ3つ買ったら、もうお腹一杯なんですー」
驚いた。俺なんて、そんな量では、腹の足しにもなりはしないのに。
「そうなのか?」
「そうなんです。それに、あんまり食べると太るし」
真顔で頷く永栄が付け加えた言葉に、少しうんざりした。
「何で女は、そんなに太る事を気にするんだよ……」
大して太っていない女子でも、口を開けば太る太るとそればかり。食べている時にまで言うから、こっちまで飯が不味く感じて嫌だ。
「……あのですね小鳥遊先輩、男の人と女の子とは、違うんです。女の子はね、ほんっとうに! 太りやすいんですよ。やせてる子でも、ちょっと食べすぎが続けば、あっという間におデブさんです」
だからいつでも気にしなきゃ駄目なんですよ、と言う永栄は、少し苦笑気味だった。
「先輩の言う事も分からなくはないですけどねー……口を開けばダイエット、ってのもどうかと思うし、言う子に限ってカロリー摂りすぎてたりするし」
「そう、だからうざい」
「でしょうね。けど、本当に大変なんですよ、体型維持するの。大体、太ってる子を男子が好まないから、女子は必死で太るまいとするんです。女子だけのせいにしないで下さいな」
真面目に、けれど最後はおどけた調子で訴える永栄は、それ以上意見を押しつけないだろう。嫌なものは嫌、そう言われたらまあいいや、そんな雰囲気を感じる。
「……男に好かれる為に必死で言い聞かせてる、と。すげえ努力だな」
だから、1歩下がった物言いを心がけた。すると、永栄もまた、やんわりと答えてくれる。
「ですよー。健康の為だったりもします。私は時々、えい! って食べちゃう時、ありますけど」
「じゃあ、今日をその日にしたら?」
軽い口調で提案してみると、永栄は少し考えて、にっこり笑った。
「そうします。私結構食べる方だし、先輩をびっくりさせちゃいますよ」
「出来るもんならどうぞ」
冗談交じりに言って、自然に笑顔を返す。それを見た永栄が少しだけ笑顔を崩したが、直ぐに元に戻った。気を取り直し、2人で出店を見るのを再開する。
一通り出店を見て回った後、永栄は、まずたこ焼き屋に突撃した。
「おじさーん、たこ焼き特大1つ! 焼きたてが良いです!!」
「はいよ、500円なー」
言いながらたこ焼きをひっくり返すおっさんと、財布を出す永栄を見て、呆れて言う。
「特大かよ。あれこれ食べるんじゃなかったのか?」
「へ? これ、小鳥遊先輩の分ですよ?」
「は?」
目を丸くした男女が2人、きょとんと顔を見合わせているのがおかしかったのか、おっさんが吹き出した。
「仲良いな、あんたら。けど兄ちゃん、ここは男が奢るとこじゃないか?」
「えーと……」
「あ、良いんですよ。これ、お礼なんです」
言いながら500円玉を手渡し、代わりに丁度焼き上がったたこ焼きを受け取った永栄は、首を傾げながら俺にそれを差し出す。
「ほら先輩、今日付き合ってくれた分のお礼ですよ。まずはお礼からでしょ?」
「……ああ」
そういえば、そんな事言った。冗談のつもりだったんだが、本気に受け取られてしまったらしい。
「え? あれ? 違いましたっけ?」
「いや、違わないけど……いい、自分で払うよ」
おっさんの言葉を気にしたわけじゃないけどな、と言いつつ財布を取り出そうとすると、永栄に押しとどめられた。
「何でですか! お礼だから良いんですって。小鳥遊先輩が来てくれて、私、本当に嬉しかったんですから!」
「…………」
その瞬間の笑顔を、どう表現したら良いだろう。
いつも見せている屈託の無いものとは全く違う、それ。柔らかく、何かを愛おしむようでいて、どこか寂しげで、大人びていて。矛盾した色をはらみながらも不思議と調和したその笑顔は、目の前のよく知る筈の少女を、全く知らない女性に見せた。
……女の笑顔なんて、作り上げられたものだって、よくよく知っている筈なのに。笑顔の裏でどんなぞっとする事でも平然と考えられると、分かっているのに。
綺麗だな、と。その時の俺は、素直にそれだけを思った。
「……じゃ、ありがたくいただく。ほら、永栄の買いたいもん買ってこい」
「もっちろんです! 私達のお祭りはこれからですよ!!」
元気よくそう言って小走りに次の店へと移動する永栄は、よく知る後輩の姿だ。その事にどうしてかほっとしながら、後から着いていく。