短編集
 目で追いきれない程の華々から目を逸らさないまま、俺は呟きを落とした。

「良いのか、言わなくて」

 隣から、小さく身動ぎする気配を感じる。それでも視線を落とさず、俺は独り言のように続けた。

「言わなくても、明日からの俺の態度は変わらねえぞ」

「…………」
 永栄が、無言で頷くのが分かる。流石にこいつも、それくらいは分かっていたか。

 この花火が終われば、夏祭りが終わる。そうしたら俺は、この場所から夏祭り会場まで永栄を連れ帰り、鳥居の所で別れるつもりだ。そうして、俺達の夏祭りも終わる。

 ——そしてそれは、俺達の今までの関係が終わる事も、意味するのだ。

 俺がこの場所に連れてきた理由の1つに、それもあった。人目に付かない場所ならば、永栄も言いやすいだろうと。人混みの中振られるような羽目にならないようにと、俺のささやかな気遣いだった。
 それに気付かない永栄ではないだろうに、今もその言葉を口にしない。言わなくたって、それと分かる誘いをした時点で、これが最後のチャンスで、言っても言わなくても、俺がこいつから離れていくのは、分かっているだろうに。

「良いのか? 言わないなら、帰るぞ」
 これが最後。そんな意思を乗せつつもう1度訊くと、永栄が小さく笑った。

「……小鳥遊先輩、勘違いしてますよ」
「え?」
 思わず視線を向けると、永栄は見た事の無い不思議な笑みを浮かべて、俺を見ていた。

「私、今日は本当に、小鳥遊先輩と夏祭りに来たかっただけなんです。……これが、最後だから」
 大学は流石にばらばらになるでしょ、そう言って永栄はまた笑う。

「最後って……、来年もあるだろ」
 俺は今、高2だ。来年まで永栄と共に、トロンボーンを吹く。その期間を残して何故今、と不思議に思う俺を見て、永栄は苦笑を滲ませる。

「先輩、来年は受験でしょう? 受験生を私の我が儘に振り回しはしませんよ」
 ここでも、永栄らしいさりげない気遣い。今まで気楽さを与えていたそれが、何故か今、酷く苛立ちをかきたてた。

「ふーん。で? 俺がどう受け取るか分かってたんだろ。いいのかよ、それで」
 少し荒い口調で訊くと、永栄はまた、夏祭り会場で見せた、綺麗な笑顔を浮かべる。
「小鳥遊先輩。前に私の事、他の女と違って小狡くないって言ったの、覚えてます?」
「……ああ」
 永栄が高校に入ってからの事だ。割と俺が永栄に構う訳を瀬良田に聞かれて、それを挙げた。確かに、永栄もいた気がする。

「あれ、勘違いです。私も女ですから、ちゃんと狡さは持ってるんですよ。その狡い私がね、今日のこの状況を作ったんです」
「……どういう意味?」
 妙に落ち着かない気分で、尋ねる。今まで経験した事無いこの状況に、俺の処理能力が限界に近付いていた。
「だって、答えなんて分かってるじゃないですか。小鳥遊先輩、ずっと前から私の気持ち、気付いてたでしょ。それでも何も言わない時点で、結果なんて分かってます」

 でも、と言って、永栄は花火に視線を戻す。丁度、柳と呼ばれる、長く尾を引く金色の花火が開く所だった。

「……それでも、先輩の口から、答えを聞きたくなかったんです。このまま何も言えずに、縁を切られる方が良いかなって」
 ほら、狡いでしょう? そう言う永栄の、花火に照らし出された笑顔は、泣き顔に近かった。

「でも、もう気持ちを隠して側にいるの、限界でした。だから、最後に、カップルみたいに、2人で夏祭りに行きたかったんです。先輩、先に告白したら、来なかったでしょ?」
「ああ」

 そのつもりがあると悟っているのと、はっきりとその意思を告げられているのとで、俺は線を引いている。永栄が想いを告げてからこれに誘っていたら、俺は断った。ただ夏祭りに誘うから、意志を告げるつもりなのだろうと、頷いたのだ。これが最後、と。

「だから、夏祭りを楽しもうと思いました。最初から言わないつもりだったんです。最後にこうして思い出を作れれば、それで十分ですから。こんな良い場所に連れてきてもらって、もう大満足ですよ」

 永栄がそう締めくくった時、丁度最後の特大花火が夜空に咲いた。その残像が完全に消えるまでじっと花火を見つめていた永栄は、ようやくその視線を俺に戻し、居住まいを正す。


 永栄の笑顔は、普段の無邪気なものとはまるで違った。隠し続けていた俺への想いを、はっきりと浮かべ。割と泣き虫なくせに涙を零しもせず、心から満足だと、その笑顔に気持ちを乗せて。永栄は、どこか寂しげで諦めた気配を漂わせながらも、本当にすっきりとした声で、言ったのだ。


「小鳥遊先輩、今日はとても楽しかったです。そして、今まであれこれ面倒見てくれて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました!!」


 そう言って下げられた永栄の頭を、俺は黙って見つめた。どう言われても返す言葉はたった1つだった筈なのに、それがどうしても口から出てこない。
「…………」
 永栄は何も言わず、頭を下げたままだ。俺がそれを言う時に、顔を見られたくないのだろう。早く言ってやらねばと思うのに、やっぱり言葉が喉でつかえる。


 ——俺は今日、どんな気持ちで、この夏祭りを過ごしていただろう。


 今までも、文化祭や体育祭にかこつけて、こんな誘いをする女子はいた。俺はそれに付き合ってやりながら、うんざりした気分を隠すので精一杯だった。面倒だ、ただそれだけを思って、告白まで辿り着いた時には、解放されたような気分だった。

 それに比べて、今回は。

 待ち合わせの場所に、階段を駆け上ってきた永栄。心の底から夏祭りを楽しみにしていたのは、直ぐに分かった。大はしゃぎしながらも、俺への気遣いを忘れず。2人で楽しむ、という事に、力の全てを注いでいた。
 最初は付き合ってやる、なんて斜に構えた態度を取っていた俺は、知らず知らず、こいつと一緒に、夏祭りを満喫していたんだ。

 ……ああもう。俺は、馬鹿なんじゃないだろうか。

 今更。永栄がもう気持ちに区切りを付けただろう、こんな終わりの時に。ここまでこいつに言わせた今になって、何を今更と思うのに。
 何で、今になって、こんな事を考えているんだ。

 こいつと一緒にいて、何年だ? 1年の間は空いたが、もう2年以上だ。それなのに、何で、考えもしなかったんだ。

 ——俺が女を遠ざけていた理由の1つに、ずっと面倒を見ていたこいつを傷付けない為、というのがあった事。そして、その意味に。

 思い出した。中学、俺が最後に夏祭りに来た時、あれはトロンボーンパートの面子とだったんだ。そして丁度、その中の1人である女子を振って、「パート仲間のままでいてくれ」と告げたばかりだった。
 既に俺の下校路で必ず後ろにいるような半ストーカーだったそいつは、あろう事かまだ1年の永栄を逆恨みしたらしい。彼女がいるせいで振られたと、永栄をいじめていた。

 それまで全く気付かなかったが、夏祭りの日、永栄がその女に話しかけられた後、始終俯きっぱなしで、俺に1度も話しかけてこなかった時に、全てを察した。
 だから俺は、恋愛感情を持って俺に近付いた女子全てと、縁を切るようにしたんだ。

 ——永栄をこれ以上、傷付けない為に。

「はあ……」
 そんなつもりはなかったのに、溜息が漏れた。自分に対するそれに永栄の肩がびくりと震えるのを見て、俺はますます自己嫌悪に陥る。

 答えなんて、もうずっと前から出ていたんじゃないか。つまらない自分の思い込みと偏見で誤魔化して、変に格好付けて。部活でいつも永栄の後を目で追ってたのも、面倒を見ていたのも、先輩としておっちょこちょいから目を離せない、なんて理由を付けて。


 ——結局、自分の気持ちに気付かないふりで側にいたのは、お互い様だったってわけだ。


< 8 / 10 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop