社内恋愛のススメ
ロビーから飛び出した影が、私の腕を掴む。
引っ張られる様に、私は強制的に立ち止まらせられる。
長い影。
夜の闇に溶け込んでしまいそうな、ダークトーンのスーツに身を包んだ人物。
少し伸びた髪を後ろへ流し、その髪は乱れることなく、きちんと整えられている。
キラリと光る、黒い縁の眼鏡。
眼鏡の奥に潜む、漆黒の瞳。
ほんの2時間前まで、同じフロアで仕事をしていた人。
1ヶ月前まで、私の恋人だった人。
私を裏切って、他の人を選んだ人。
「実和………。」
その人が、私の名を呼ぶ。
愛しそうに、私の名前を口にする。
仕事の時とは、別の声で。
甘いのにどこかほろ苦い、そんな声色で。
付き合っていた頃と同じ様に、私の名前を呼ぶその人。
そこにいたのは、上条さん。
上司に戻ったはずの、上条さんだった。
「か、上条………主任、お疲れ様………です。」
途切れがちに出る言葉は、ひどく他人行儀なもの。
だって、ここは会社。
公の場だ。
誰に見られていても、おかしくない場所。
就業時間を過ぎたとはいえ、誰が通りかかるか分からない場所。