社内恋愛のススメ
どのくらい、ぼんやりとしていたのだろう。
それさえも、曖昧で。
覚えているのは、あの一言。
文香さんが私を見て言った、忘れられそうにもない言葉。
「地獄に落ちて。………2度と這い上がれないほど、遠くに消えて。」
文香さんが残した言霊。
負の力を宿した、あの言葉だけ。
私は、誰も傷付けたくなかった。
長友くんのことも。
上条さんのことも。
上条さんと結婚した、文香さんのことも。
そして、私自身も。
みんなが笑えればいいと思った。
みんなが幸せになれればいいと思ってた。
大それたことなんて望んでない。
贅沢な願いなんて抱いていない。
ただ、幸せになりたかった。
平穏で、心が温まる様な毎日が送りたかった。
ロマンチックなことなんて、起きなくてもいいから。
ドラマみたいな展開で、ハラハラさせてくれなくてもいいから。
普通に恋をして。
普通に幸せを感じて。
普通に、みんなと一緒に仕事をして。
普通の生活が送れたら、それだけで満足だったのに。
私が選んだ未来は、間違いだったのだろうか。
私は、文香さんを傷付けていた。
知らない所で、私は他の誰かを追い込んでいた。
そのことが、何よりも衝撃的だった。
(部長………?)
部長は、どうしてこんなにも慌てているのだろう。
いつもとは違う様子の部長に、首を傾げたのは言うまでもない。
(急かしに来たのかな?)
話があると言って呼び出しておいて、何の話もしようとはしない。
取引先の社長の娘である文香さんが帰った後も、一向に会議室から出て来ない部下。
そんな私に痺れを切らして、ここにやって来たのだろうか。
部長が慌てている理由にいまいちピンと来ない私は、呑気にそんなことを考えていたのだけれど。
事態は、それほど甘くなかった。
私を取り巻く状況は、決して安堵出来るものではなかったのだ。