アウト オブ ザ ブルー
退院後。
私は母子寮で寮母さんや他の居住者に助けられながら、しばらく子育てに専念することになった。
仕事を再開したり、児童英会話講師の仕事に就くために早く動き出したい気持ちもあったが、
市から生活保護と児童扶養手当を受けることができたので、とりあえずはそれに頼らせてもらうことにした。
贅沢をしなければ、親子ふたりで生活することは可能だった。
みーくんは母乳で育てることができたのでミルク代がかからず、母乳が出れば出るほど私の体重も落ちていって、そのへんは一石二鳥だった。
母親業は24時間年中無休で、ほっとひと息つけるのは子どもが眠っているときくらいである。
それでも家事やら清掃当番やら、しなければいけないことはたくさんあるので、自分が自由に使える時間は皆無に等しかった。
けれどそれも慣れてくれば楽しい苦しみで、私は育児ノイローゼや産後ブルーを煩うことなく育児を楽しむことができた。
今や本当の家族のように思っている寮母さんや、他の家族の存在も大きかったかもしれない。